和暦 西暦 事項 出典
-年 - - - 誕生。 -
- - - - 京都四条橋の勧進を行う。 『臥雲日件録』寛正3年3月4日条
寛正2年 1461 - - 南禅寺の勧進を請け負い、将軍 足利義政より100貫の奉加を受ける。 『臥雲日件録』寛正3年3月4日条
寛正3年 1462 3 4 願阿弥が将軍 足利義政に餓人救済を願い出る。義政はその望みを請け、100貫文を願阿弥に渡す。願阿弥は六角堂南大慈院北に102間の仮屋を建て初め3日は粥を、その後は菜羹を振る舞う。 『臥雲日件録』同年月日条
文明11年 1479 8 18 願阿弥が清水寺の造営を開始する。 『長興宿禰記』同年月日条
文明11年 1479 8 22 清水寺本堂の立柱・棟上が行われる。 『長興宿禰記』同年月日条
文明11年 1479 12 27 室町幕府が願阿弥の島津家守護分国の大隅・薩摩・日向国内における清水寺建立のための勧進活動を保障するようにと伝える奉行人奉書を発給する。 同年月日付室町幕府奉行人連署奉書「島津家文書」『室町幕府文書集成』1214号
文明14年 1482 9 13 清水寺の勧進に尽力する願阿弥の働きを称える勅裁を下すよう甘露寺親長が奏聞。勅許がおりる。 『親長卿記』同年月日条
文明14年 1482 9 15 清水寺勧進聖 願阿弥が甘露寺親長のもとを訪れる。 『親長卿記』同年月日条
文明16年 1484 6 19 甘露寺親長が清水寺に参詣する。本尊遷座につき勅使参着の場所について勧進を差配する願阿弥に対応を依頼する。親長の参詣に、寺僧は応対せず親長は「寺僧は「無力」で、寺にいるといってもいないと同然である」と述べる。また、親長は、本尊遷座にあたり、寺僧が本尊厨子を担ぐことに難色を示していることを聞く。 『親長卿記』同年月日条
文明16年 1484 6 27 新しく造営した清水寺に本尊が遷座する。勅使 頭弁元朝が清水寺に遣わされる。勧進を担当した願阿弥が3年の歳月をかけて建立したという。なお造営事業について、寺僧は一切関知していなかったという。朝廷へ5000疋(50貫文)が願阿より納められる。 『親長卿記』同年月日条
『後法興院政家記』同年月日条
文明16年 1484 9 18 9月17日より燈明勧進を実施。日に3銭を奉加すると燈明がともされる。蔭涼軒が清水寺に参詣し7・8・9月分の奉加を渡す。しかし、主人(願阿弥カ)が越前に赴いていて留守のため、留守居の蓮成法師・三阿弥に会う。 『蔭涼軒日録』同年月日条
文明18年 1486 5 13 清水寺勧進聖 願阿弥が五条橋にて死去する。弟子の「伊勢者」が願阿弥の勧進事業を継承するか噂になるが、辞退を願い出ている旨も噂される。 『後法興院政家記』同年5月15日条
『大乗院寺社雑事記』同年5月16日条