後醍醐天皇の情報戦
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(イラスト:岡本 芽依)


延元3年(1338)3月8日、南朝勢は天王寺で北朝勢に勝利。京都をうかがいます。これを うけて北朝勢は3月9日に足利直義が京都より出撃。3月17日には直義が南朝勢を破り、 さらに5月22日には堺での合戦で、陸奥の南朝勢を率いた北畠顕家を討ち取るなど 戦果をおさめます。劣勢に陥った後醍醐天皇は、この日、阿蘇氏に援軍を求める綸旨 を出し援軍を募ります。ですが、その綸旨には3月に天王寺で北朝勢を破り京都をう かがう勢いをみせていた頃の情報は記されているものの、それ以後の劣勢を覆い隠し、 さらには3月同様有利な状況が継続していると嘘の畿内情勢が記されていました。 嘘の情報で援軍を募る。まさに情報操作が行われていたのです。




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