交通費はなるべく安く | |||
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(イラスト:中本 成美) |
東寺の荘園経営の議事録ともいえる「学衆評定引付」の永和2年(1376)10月晦日条には、東寺領荘園播磨国矢野荘から東寺に年貢を運ぶ際、輸送ルートは丹波路と定められていたことが記されています。年貢輸送路は定まっていたということがわかるとても面白い史料ですが、この日の議事録によれば、矢野荘の荘民は丹波路を通らず南路(山陽道)を通って東寺に年貢を運んできたというのです。その理由は、丹波路を通っていたところ「抜群物」に遭遇し襲われたためで、恐怖のあまり丹波路を通ることができなかったといいます。そこで山陽道を通ってきたわけですが、荘民のこの行動に荘園領主の東寺は怒ります。800文もの関銭がかかったからです。この額は、丹波路に比べると高かったようです。そもそも東寺は、丹波路よりも山陽道の方が危険なはずで、荘民が言ったことは信用できないとも述べています。ゆえに東寺は丹波路でかかる分の交通費しか出さないと荘民に伝えています。 企業が交通費を安くするため、社員が希望する交通ルートではなく、最も安いルートを指定するという昨今よくある話は、中世にもあったようです。 |