祈祷のチカラ | |||
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(イラスト:大幸 峻) |
排他的な領有地である荘園。しかし南北朝期になると守護による荘園の侵略が本格化します。東寺の「学衆方評定引付」応永1年(1394)7月28日条によれば、東寺領播磨国矢野荘には、播磨国守護 赤松義則から陣夫役・千草山材木引・相国寺塔婆材木引といった雑役が賦課されていました。そんな折、興福寺の国人を討伐するべく、赤松義則は奈良に出陣します。東寺ではこの機会をとらえ、義則の戦勝を祈願する百座不動供を各住坊で修することを7月16日に評定で決定します。そして、7月25日、祈祷の際に作成した巻数を東寺僧 乗観に託し奈良にいる義則のもとに贈ります。乗観は7月28日に東寺に戻り、評定の場で義則との雑役免除をめぐる交渉結果を報告します。結果は陣役夫と千草山材木引については免除するが、相国寺塔婆材木引については不可というものでした。 戦勝祈願の祈祷により雑役免除を勝ち取り、荘園本来の守護不介入の状況を復活させているところをみると、祈祷がものすごい力を有していたことがわかります。戦勝祈願というのは自発的にされると嬉しいものなのかもしれません。しかし一方で、将軍 足利義満の肝いり事業である相国寺塔婆材木引については免除を勝ちとれませんでした。義満の父 義詮の33回忌供養のために造営されることになった相国寺塔婆事業の前には、言い換えれば将軍のチカラの前には、東寺の祈祷のチカラもかなわなかったようです。 |