(イラスト:荒東 慶美)
瀬戸内海を牛耳っていた村上海賊衆。彼らの許可なくして、この海を安全に通行する ことはできませんでした。ところが、そんな海域秩序に戦国大名の大内義隆が挑みます。 1541-1548頃にかけて瀬戸内海で両者による海戦が繰り広げられました。結果は、大内氏 が勝利!大内氏は村上海賊衆が瀬戸内海のいたるところ(浦)で徴収していた通行税 の徴収(払わない船は攻撃を受けます)場所を、堺・厳島に限定します。義隆は後に 陶晴賢によって倒されますが、この海賊取り締まりは晴賢に擁立された大内義長時代 も継承されます。晴賢は厳島の合戦で毛利元就と戦い戦死しますが、その際、村上海 賊衆は元就に味方しています。大内氏に海賊行為を抑圧されたことが、元就に味方す る理由だったのかもしれません。以後、村上海賊衆は、秀吉の海賊停止令まで日本を 代表する海賊衆として再び瀬戸内海に君臨することになるのです。 |