人 物 史

海蓮 がいれん
生 没 年?-?
出 身-
俗 姓(氏)-俗 名-
別 称-
院 号 坊 号-
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兄 弟 姉 妹-
所 属 寺 社醍醐寺 勧進聖
僧 位 僧 官-
諡 号-
師 匠-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
海蓮 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
-----海蓮が生まれる。-
文亀3年15031115-長尾宮遷座式が行われる。社頭造営は海蓮の勧進によるものという。『厳助大僧正記』同年月日条
永正9年15121124-清瀧権現の勧進聖 海蓮が近衛尚通のもとを訪れ対面し盃を賜る。『後法成寺関白記』同年月日条
永正13年1516817-清瀧権現の勧進聖 海蓮が醍醐寺南大門にて鐘鋳勧進を行う。見物の衆は60000人にも及ぶという。口径3尺2寸(約96cm)の鐘の鋳造を試みるが失敗する。『厳助大僧正記』同年月日条
永正13年1516911-醍醐寺の周防が喧嘩をし、寺の内衆が十穀坊(海蓮ら)を打ち叩き、門が破壊される。『厳助大僧正日記』同年月日条
永正16年1519325-厳助のもとで百韻を興行する。海蓮が参加する。『厳助大僧正記』同年月日条
大永1年1521112-海蓮が醍醐寺の鐘を鋳造する。『大』9-13 大永元年10/10条
大永2年152219-厳助のもとで万句連歌会が行われる。海蓮が参加する。『厳助大僧正記』同年月日条
享禄2年152973-海蓮が関東での勧進のため京都を発す。『厳助大僧正記』同年月日条
-----海蓮が死去する。-
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