史料にみえる豊臣秀吉の呼称



永禄11年1568年11月22日木下藤吉郎『多聞院日記』同年月日条

元亀3年1572年5月4日木下藤吉郎『兼見卿記』同年月日条

元亀4年1573年7月4日藤吉郎『兼見卿記』同年月日条

天正3年1575年8月16日羽柴藤吉郎『兼見卿記』同年月日条

天正5年1577年10月22日羽柴筑州『兼見卿記』同年月日条

天正6年1578年11月11日羽柴藤吉郎秀吉(天正6年)11月11日付羽柴秀吉書状(『姫路市史 史料編1』「黒田家文書」4号)

天正8年1580年10月28日藤吉郎同年月日条羽柴秀吉制札(「旧龍野町文書」(姫路市史編集委員会『姫路市史 史料編1』姫路市役所、1974年、696p)

天正13年1585年8月5日羽柴殿『上井覚兼日記』同年月日条

天正14年1586年6月7日羽柴殿『上井覚兼日記』同年月日条

慶長19年1614年11月8日太閤秀吉公『駿府記』同年月日条

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