人 物 史

蠣崎信広 かきざき のぶひろ
生 没 年永享3年(1431)-明応3年(1494)5/20
出 身若狭国幼 名-
別 称彦太郎
法 名清岩
戒 名-
武田信賢、蠣崎季繁[養父]-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者蠣崎季繁の娘
娘(下国恒季の妻)、蠣崎光広、娘
官 位若狭守
役 職-
城 郭州崎館(蝦夷国)
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第1輯 刊本
関 連 デ ー タ-
蠣崎信広 年表
永享3年 1431年 -月-日 1歳
蠣崎信広が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎信広」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎信広」の項

嘉吉1年 1441年 2月17日 11歳
「永享」より「嘉吉」に年号が改まる。
出典:-

文安1年 1444年 2月5日 14歳
「嘉吉」より「文安」に年号が改まる。
出典:-

宝徳1年 1449年 7月28日 19歳
「文安」より「宝徳」に年号が改まる。
出典:-

宝徳3年 1451年 -月-日 21歳
武田信広が若狭国を去り、足利(下野国)に赴く。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎信広」の項

享徳1年 1452年 7月25日 22歳
「宝徳」より「享徳」に年号が改まる。
出典:-

宝徳4年 1452年 3月-日 22歳
武田信広が田名部(陸奥国)に移り、蠣崎を領す。蠣崎を称す。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎信広」の項

享徳3年 1454年 8月28日 24歳
蠣崎信広が松前(蝦夷国)に赴く。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎信広」の項

康正1年 1455年 7月25日 25歳
「享徳」より「康正」に年号が改まる。
出典:-

康正2年 1456年 -月-日 26歳
子・光広が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎光広」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎光広」の項

長禄1年 1457年 9月28日 27歳
「康正」より「長禄」に年号が改まる。
出典:-

寛正1年 1460年 12月21日 30歳
「長禄」より「寛正」に年号が改まる。
出典:-

文正1年 1466年 2月28日 36歳
「寛正」より「文正」に年号が改まる。
出典:-

応仁1年 1467年 3月5日 37歳
「文正」より「応仁」に年号が改まる。
出典:-

文明1年 1469年 4月28日 39歳
「応仁」より「文明」に年号が改まる。
出典:-

文明11年 1479年 -月-日 49歳
孫・義広が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎義広」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎義広」の項

長享1年 1487年 7月20日 57歳
「文明」より「長享」に年号が改まる。
出典:-

延徳1年 1489年 8月21日 59歳
「長享」より「延徳」に年号が改まる。
出典:-

明応1年 1492年 7月19日 62歳
「延徳」より「明応」に年号が改まる。
出典:-

明応3年 1494年 5月20日 64歳
蠣崎信広が上国(蝦夷国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎信広」の項

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