人 物 史

蠣崎光広 かきざき みつひろ
生 没 年康正2年(1456)-永正15年(1518)7/12
出 身-幼 名-
別 称彦太郎、高広
法 名泰岩、寥青
戒 名-
蠣崎信広蠣崎季繁の娘
兄 弟 姉 妹女(下国恒季の妻)、蠣崎光広、女
配 偶 者-
蠣崎義広、蠣崎高広、南条基広
官 位宮内少輔、若狭守
役 職-
城 郭太館(蝦夷国)
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第1輯 刊本
関 連 デ ー タ-
蠣崎光広 年表
康正2年 1456年 -月-日 1歳
蠣崎光広が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎光広」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎光広」の項

長禄1年 1457年 9月28日 2歳
「康正」より「長禄」に年号が改まる。
出典:-

寛正1年 1460年 12月21日 5歳
「長禄」より「寛正」に年号が改まる。
出典:-

文正1年 1466年 2月28日 11歳
「寛正」より「文正」に年号が改まる。
出典:-

応仁1年 1467年 3月5日 12歳
「文正」より「応仁」に年号が改まる。
出典:-

文明1年 1469年 4月28日 14歳
「応仁」より「文明」に年号が改まる。
出典:-

文明11年 1479年 -月-日 24歳
子・義広が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎義広」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎義広」の項

長享1年 1487年 7月20日 32歳
「文明」より「長享」に年号が改まる。
出典:-

延徳1年 1489年 8月21日 34歳
「長享」より「延徳」に年号が改まる。
出典:-

明応1年 1492年 7月19日 37歳
「延徳」より「明応」に年号が改まる。
出典:-

明応3年 1494年 5月20日 39歳
父・信広が上国(蝦夷国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎信広」の項

文亀1年 1501年 2月29日 46歳
「明応」より「文亀」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永正1年 1504年 2月30日 49歳
「文亀」より「永正」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永正4年 1507年 -月-日 52歳
孫・季広が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎季広」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎季広」の項

永正11年 1514年 3月-日 59歳
蠣崎光広が上国(蝦夷国)より松前の太館に移る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎光広」の項

永正15年 1518年 7月12日 63歳
蠣崎光広が松前(蝦夷国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎光広」の項

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.