人 物 史

相良義陽 さがら よしひ
生 没 年天文13年(1544)2/8-天正9年(1581)12/2
出 身肥後国幼 名万満丸
別 称頼房、義頼、四郎太郎
法 名-
戒 名玉井院越江蓮芳
相良晴広内城(上田織部允の娘)
兄 弟 姉 妹相良義陽、相良頼貞、亀徳(島津義弘の妻、上村長陸の妻)
配 偶 者千代菊(相良義滋の娘)、了信尼(豊永長英の娘)
虎満、千満、千代菊、相良忠房、相良頼房、相良長城
官 位遠江守、修理大夫
役 職-
城 郭人吉城(肥後国)、八代城/古麓城(肥後国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ相良義陽の関連文化財
相良義陽 年表
弘治1年 1555年 10月23日 12歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 15歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 27歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 7月6日 27歳
島津義久相良義陽に島津家と相良家が一味すること偽りがないことを示す起請文を発給する。
出典:永禄13年7月6日付島津義久起請文(『相良家文書』1-549号)

天正1年 1573年 7月28日 30歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正9年 1581年 12月2日 38歳
相良義陽が響野原(肥後国)にて在陣中、甲斐宗運の襲撃を受け戦死する。
出典:-

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