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石高から軍役算出
軍役から石高算出
人 物 史
愛甲季隆
あいこう すえたか
生 没 年
?-建暦3年(1213)5/3
出 身
-
幼 名
-
別 称
三郎
法 名
-
戒 名
-
父
山口季兼
母
-
兄 弟 姉 妹
愛甲義久、
愛甲季隆
配 偶 者
-
子
愛甲季通
官 位
-
役 職
-
城 郭
-
参 考 文 献
○
愛甲季隆の関連文化財
関 連 デ ー タ
-
愛甲季隆 年表
- -年 -月-日
愛甲季隆
が生まれる。
出典:-
建久3年 1192年 7月12日
源頼朝
が征夷大将軍となる。
出典:『北条九代記』上
元久2年 1205年 6月22日
畠山重忠
が幕府より火急の出仕命令を受け鎌倉(相模国)に向かうべく菅谷館を出立する。道中、
北条義時
が重忠討伐に動いていることを知った重忠は、二俣川にて義時と戦い、
愛甲季隆
の矢を受け戦死する。
出典:-
建暦3年 1213年 5月2日
鎌倉(相模国)にて
北条義時
と
和田義盛
が戦う。
出典:-
建暦3年 1213年 5月3日
鎌倉(相模国)にて
北条義時
と
和田義盛
が戦い、義盛が戦死し、義時が勝利する。和田勢は
愛甲季隆
が戦死する。
出典:-
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