人 物 史

源頼朝 みなもとのよりとも
生 没 年久安3年(1147)-正治1年(1199)
出 身尾張国熱田幼 名鬼武者
別 称三郎
法 名-
戒 名-
源義朝藤原季範の娘
兄 弟 姉 妹源義平、源朝長、源頼朝、源義門、源希義、源範頼、阿野全成、義円、源義経、坊門、娘
配 偶 者政子(北条時政の娘)
大姫、源頼家、貞暁、三幡、源実朝
官 位右兵衛佐、右近衛大将、権大納言
役 職鎌倉幕府 征夷大将軍
城 郭-
参 考 文 献源頼朝に関する参考文献
関 連 デ ー タ源頼朝の関連文化財
源頼朝 年表
久安3年 1147年 -月-日 1歳
源頼朝が生まれる。
出典:-

仁平1年 1151年 1月26日 5歳
「久安」より「仁平」に年号が改まる。
出典:-

久寿1年 1154年 10月28日 8歳
「仁平」より「久寿」に年号が改まる。
出典:-

保元1年 1156年 4月27日 10歳
「久寿」より「保元」に年号が改まる。
出典:-

平治1年 1159年 -月-日 13歳
弟・義経が生まれる。
出典:-

平治1年 1159年 4月20日 13歳
「保元」より「平治」に年号が改まる。
出典:-

平治2年 1160年 1月3日 14歳
野間(尾張国)にて長田忠致が自邸に匿っていた父・義朝、鎌田政清を殺害する。
出典:-

永暦1年 1160年 1月10日 14歳
「平治」より「永暦」に年号が改まる。
出典:-

永暦1年 1160年 3月11日 14歳
平清盛源頼朝を伊豆国に流す。
出典:『吾妻鏡』治承4年4月27日条

応保1年 1161年 9月4日 15歳
「永暦」より「応保」に年号が改まる。
出典:-

長寛1年 1163年 3月29日 17歳
「応保」より「長寛」に年号が改まる。
出典:-

永万1年 1165年 6月5日 19歳
「長寛」より「永万」に年号が改まる。
出典:-

仁安1年 1166年 8月27日 20歳
「永万」より「仁安」に年号が改まる。
出典:-

嘉応1年 1169年 4月8日 23歳
「仁安」より「嘉応」に年号が改まる。
出典:-

承安1年 1171年 4月21日 25歳
「嘉応」より「承安」に年号が改まる。
出典:-

安元1年 1175年 7月28日 29歳
「承安」より「安元」に年号が改まる。
出典:-

治承1年 1177年 8月4日 31歳
「安元」より「治承」に年号が改まる。
出典:-

治承4年 1180年 4月9日 34歳
源頼政が、平清盛を討つため、子・源仲綱を以仁王のもとに遣わし、平家討滅の企てに誘う。以仁王はその企てにのり令旨を源氏に下す。源頼朝への令旨は源行家に託し遣わす。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 4月27日 34歳
以仁王の令旨が北条館(伊豆国)にいる源頼朝のもとに届く。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月10日 34歳
下川辺庄司行平源頼朝のもとに源頼政挙兵のことを告げる。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月15日 34歳
以仁王の平家追討の令旨が平氏に露見。以仁王を土佐国に配流する宣旨が下る。検非違使の源兼綱・源光長が以仁王のいる高倉御所に派遣される。事前に追捕の動きを知った源頼政以仁王にその旨を伝える。以仁王は高倉御所から逃れ三井寺に向かう。高倉御所では長谷部信連が検非違使と交戦し光長の郎党5、6名が負傷する。
出典:『吾妻鏡』同年月日条・5月19日条

治承4年 1180年 5月16日 34歳
以仁王のいた高倉御所が検非違使によって包囲される。検非違使の勢は建物の天井を破り、板敷を外すなどして以仁王を捜索するが見当たらず。以仁王の子息が八条院にいたので平頼盛が精兵を率い八条御所に向かい以仁王子息を生捕り六波羅に帰還する。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月19日 34歳
以仁王三井寺衆徒の援助を受け、同寺法輪院に御所を構える。
源頼政が近衛河原の自邸を自焼し、一族郎党を引き連れ三井寺に向かい以仁王と合流する。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月21日 34歳
5月23日に平宗盛・平頼盛・平教盛・平知盛平維盛・平資盛・平清経・平重衡を大将として園城寺を攻めることが勅定により決定する。
出典:『玉海』同年月日条

治承4年 1180年 5月26日 34歳
以仁王源頼政が籠る三井寺に兵が集まらなかったため、両人は南都を頼むべく三井寺を出る。平知盛平維盛以仁王源頼政を追撃し、宇治(山城国)にて合戦となり、光明山鳥居前にて以仁王源頼政が戦死する。頼政の首はさらされるが、本人ではないとの噂が流れる。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 6月19日 34歳
三善康信が源頼朝のいる北条館(伊豆国)を訪れ、5/26に以仁王が追討された旨を伝える。また、康信は頼朝追討の命がおりるであろうから奥羽へ逃れるよう勧める。康信の母が頼朝の乳母であったことから、康信は頼朝の伊豆配流後も頼朝と誼を通じ、3ヶ月に一度は洛中の様子を伝える使者を送っていたという。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 6月24日 34歳
源頼朝が平家追討の策を練るべく累代の御家人を招集するため、安達盛長と中原光家を遣わす。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 6月27日 34歳
三浦義澄と千葉胤頼が源頼朝のいる北条館(伊豆国)のもとを訪れ、平家追討について議す。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承5年 1181年 閏2月4日 35歳
平清盛が死去する。
出典:-

養和1年 1181年 7月14日 35歳
「治承」より「養和」に年号が改まる。
出典:-

寿永1年 1182年 5月27日 36歳
「養和」より「寿永」に年号が改まる。
源頼朝は「治承」年号を復して用いる。
出典:-

寿永1年 1182年 8月12日 36歳
子・頼家が相模国鎌倉比企ヶ谷の比企能員邸にて生まれる。
出典:-

寿永2年 1183年 5月13日 37歳
俱利伽羅峠にて平維盛源義仲が戦い、義仲が勝利する。平惟時が戦死する。
出典:『北条九代記』上

寿永2年 1183年 7月25日 37歳
源義仲延暦寺に陣取る。 平宗盛は安徳天皇を連れ西国に逃れる。
出典:『北条九代記』上

寿永2年 1183年 7月28日 37歳
源義仲、源行家が京都に入る。
出典:『北条九代記』上

寿永2年 1183年 12月20日 37歳
源頼朝の命を受けた梶原景時が、鎌倉(相模国)の御所内にて上総広常を殺害する。
出典:-

寿永3年・治承8年 1184年 1月21日 38歳
粟津(近江国)にて源範頼・源義経源義仲が戦い、義仲は戦死する。
出典:-

寿永3年・治承8年 1184年 2月4日 38歳
平宗盛等が一谷(摂津国)に城を構え軍勢を集める。
出典:-

寿永3年・治承8年 1184年 2月7日 38歳
一ノ谷(摂津国)にて源範頼・源義経平宗盛平知盛が戦い、範頼・義経が勝利する。平忠度平経正平敦盛が戦死する。
出典:-

寿永3年 1184年 3月27日 38歳
源頼朝が正四位下に叙される。
出典:『北条九代記』上

元暦1年 1184年 4月16日 38歳
源頼朝が「治承」より「元暦」に年号を改める。
平宗盛は「寿永」年号を継続して用いる。
出典:-

元暦1年 1184年 4月26日 38歳
源頼朝の追手が武蔵国にて源義高を捕らえ、入間川の河原にて藤内光澄が義高を殺害する。
出典:-

元暦1年 1184年 7月28日 38歳
後鳥羽天皇が即位する。
出典:『北条九代記』上

寿永4年 1185年 3月24日 39歳
壇ノ浦にて源義経平宗盛が戦い、義経が勝利する。安徳天皇は平時子とともに入水自殺する。平教盛、平経盛、平知盛、平忠房、平行盛、平有盛も入水し死去する。宗盛、平清宗、平信忠は源氏勢に捕らえられる。
出典:『北条九代記』上

元暦2年 1185年 4月27日 39歳
源頼朝が従二位に叙される。
出典:『北条九代記』上

元暦2年 1185年 6月15日 39歳
島津忠久が鎌倉(相模国)にて源頼朝に拝謁する。忠久と名乗り、左兵衛少尉に任じられる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠久」の項

元暦2年 1185年 6月21日 39歳
篠原宿(近江国)にて源義経平宗盛を処刑する。
出典:-

文治1年 1185年 8月14日 39歳
「元暦」より「文治」に年号が改まる。
出典:-

文治2年 1186年 11月18日 40歳
源義経の捜索について院評定が行われ、畿内・北陸道に義経追捕の宣旨を出すことが決定する。
出典:『吾妻鏡』同年11月29日条

文治3年 1187年 2月10日 41歳
源義経が伊勢・美濃を経て陸奥の藤原秀衡を頼るため、妻とともに山伏や児童に扮して逃れていることが噂される。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

文治5年 1189年 1月5日 43歳
源頼朝が正二位に叙される。
出典:『北条九代記』上

文治5年 1189年 閏4月30日 43歳
源頼朝勢が平泉(陸奥国)を攻める。源義経が自害する。
出典:-

建久1年 1190年 4月11日 44歳
「文治」より「建久」に年号が改まる。
出典:-

建久1年 1190年 11月9日 44歳
源頼朝が大納言となる。
出典:『北条九代記』上

建久1年 1190年 11月24日 44歳
源頼朝が右近衛大将に任じられる。
出典:『北条九代記』上

建久1年 1190年 12月4日 44歳
源頼朝が大納言・右近衛大将の職を辞す。
出典:『北条九代記』上

建久3年 1192年 7月12日 46歳
源頼朝が征夷大将軍となる。
出典:『北条九代記』上

建久3年 1192年 8月9日 46歳
子・実朝が生まれる。
出典:-

建久10年 1199年 1月10日 53歳
源頼朝が出家する。
出典:『北条九代記』上

建久10年 1199年 1月13日 53歳
源頼朝が死去する。
出典:『北条九代記』上

建保6年 1218年 -月-日 
島津忠久が薩摩国満家院に花尾権現社を創建し、源頼朝・丹後局夫妻を祀る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠久」の項

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.