人 物 史

北条義時 ほうじょう よしとき
生 没 年長寛1年(1163)-貞応3年(1224)6/13
出 身-幼 名-
別 称江馬四郎、江馬小四郎
法 名徳宗、得宗
戒 名-
北条時政伊東入道の娘
兄 弟 姉 妹北条宗時、政子(源頼朝の妻)、北条義時、北条時房、北条政範、阿波局、時子、稲毛女房
配 偶 者比企朝宗の娘、伊佐朝政の娘、伊賀朝光の娘、伊賀朝時の娘
北条泰時北条朝時北条重時、北条有時、北条政村、北条実泰、竹、女(一条実雅の妻)
官 位相模守、右京権大夫、陸奥守
役 職鎌倉幕府 執権、侍所別当
信濃国守護、若狭国守護、大隅国守護、駿河国守護、伊豆国守護、越後国守護
城 郭-
参 考 文 献北条義時に関する参考文献
関 連 デ ー タ北条義時の関連文化財
北条義時 年表
長寛1年 1163年 -月-日 1歳
北条義時が生まれる。
出典:-

長寛1年 1163年 3月29日 1歳
「応保」より「長寛」に年号が改まる。
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長寛1年 1163年 -月-日 1歳
子・義時が生まれる。
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永万1年 1165年 6月5日 3歳
「長寛」より「永万」に年号が改まる。
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仁安1年 1166年 8月27日 4歳
「永万」より「仁安」に年号が改まる。
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嘉応1年 1169年 4月8日 7歳
「仁安」より「嘉応」に年号が改まる。
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承安1年 1171年 4月21日 9歳
「嘉応」より「承安」に年号が改まる。
出典:-

安元1年 1175年 7月28日 13歳
「承安」より「安元」に年号が改まる。
出典:-

治承1年 1177年 8月4日 15歳
「安元」より「治承」に年号が改まる。
出典:-

治承4年 1180年 4月27日 18歳
以仁王の令旨が北条館(伊豆国)にいる源頼朝のもとに届く。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月26日 18歳
以仁王源頼政が籠る三井寺に兵が集まらなかったため、両人は南都を頼むべく三井寺を出る。平知盛平維盛以仁王源頼政を追撃し、宇治(山城国)にて合戦となり、光明山鳥居前にて以仁王源頼政が戦死する。頼政の首はさらされるが、本人ではないとの噂が流れる。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承5年 1181年 閏2月4日 19歳
平清盛が死去する。
出典:-

養和1年 1181年 7月14日 19歳
「治承」より「養和」に年号が改まる。
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寿永1年 1182年 5月27日 20歳
「養和」より「寿永」に年号が改まる。
源頼朝は「治承」年号を復して用いる。
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寿永2年 1183年 12月20日 21歳
源頼朝の命を受けた梶原景時が、鎌倉(相模国)の御所内にて上総広常を殺害する。
出典:-

寿永2年 1183年 -月-日 21歳
子・泰時が生まれる。
出典:-

元暦1年 1184年 4月16日 22歳
源頼朝が「治承」より「元暦」に年号を改める。
平宗盛は「寿永」年号を継続して用いる。
出典:-

寿永4年 1185年 3月24日 23歳
壇ノ浦にて源義経平宗盛が戦い、義経が勝利する。安徳天皇は平時子とともに入水自殺する。平教盛、平経盛、平知盛、平忠房、平行盛、平有盛も入水し死去する。宗盛、平清宗、平信忠は源氏勢に捕らえられる。
出典:『北条九代記』上

文治1年 1185年 8月14日 23歳
「元暦」より「文治」に年号が改まる。
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文治2年 1186年 11月18日 24歳
源義経の捜索について院評定が行われ、畿内・北陸道に義経追捕の宣旨を出すことが決定する。
出典:『吾妻鏡』同年11月29日条

文治5年 1189年 閏4月30日 27歳
源頼朝勢が平泉(陸奥国)を攻める。源義経が自害する。
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建久1年 1190年 4月11日 28歳
「文治」より「建久」に年号が改まる。
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建久3年 1192年 7月12日 30歳
源頼朝が征夷大将軍となる。
出典:『北条九代記』上

建久4年 1193年 -月-日 31歳
子・朝時が生まれる。
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建久9年 1198年 6月6日 36歳
子・重時が生まれる。
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建久10年 1199年 1月13日 37歳
源頼朝が死去する。
出典:『北条九代記』上

正治1年 1199年 4月27日 37歳
「建久」より「正治」に年号が改まる。
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正治2年 1200年 1月20日 38歳
清見関(駿河国)にて吉川友兼と梶原景時が戦い、景時の子の景季景高景茂が戦死、景時は自害する。
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正治2年 1200年 1月23日 38歳
三浦義澄が死去する。
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建仁1年 1201年 2月13日 39歳
「正治」より「建仁」に年号が改まる。
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建仁1年 1201年 3月24日 39歳
千葉常胤が死去する。
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建仁3年 1203年 9月2日 41歳
北条時政が自邸にて比企能員を殺害する。
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元久1年 1204年 2月20日 42歳
「建仁」より「元久」に年号が改まる。
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元久1年 1204年 7月18日 42歳
北条時政が修善寺(伊豆国)に幽閉中の源頼家のもとに手勢を差し向け殺害する。
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元久2年 1205年 6月22日 43歳
子・政村が生まれる。
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建永1年 1206年 4月27日 44歳
「元久」より「建永」に年号が改まる。
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承元1年 1207年 10月25日 45歳
「建永」より「承元」に年号が改まる。
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建暦1年 1211年 3月9日 49歳
「承元」より「建暦」に年号が改まる。
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建暦3年 1213年 5月2日 51歳
鎌倉(相模国)にて北条義時和田義盛が戦う。
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建暦3年 1213年 5月3日 51歳
鎌倉(相模国)にて北条義時和田義盛が戦い、義盛が戦死し、義時が勝利する。和田勢は愛甲季隆が戦死する。
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建保1年 1213年 12月6日 51歳
「建暦」より「建保」に年号が改まる。
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建保3年 1215年 1月6日 53歳
父・時政が死去する。
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建保7年 1219年 1月27日 57歳
公暁が源実朝を殺害する。
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承久1年 1219年 4月12日 57歳
「建保」より「承久」に年号が改まる。
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承久3年 1221年 6月14日 59歳
宇治川(山城国)にて幕府軍と後鳥羽上皇軍が戦い、幕府軍が勝利する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠時」の項

承久3年 1221年 7月13日 59歳
後鳥羽上皇が隠岐国に配流となる。
出典:『北条九代記』上

承久3年 1221年 7月20日 59歳
北条義時が長沼宗政を淡路国守護および同国笑原保・上田保地頭職に補任する。
出典:同年月日付北条義時下知状(「皆川文書」)

貞応1年 1222年 4月13日 60歳
「承久」より「貞応」に年号が改まる。
出典:-

貞応1年 1222年 9月25日 60歳
高野山大塔の修造につき北条義時が五畿七道の御家人地頭住人に相応の奉加に応じるよう下知する。
出典:貞応1年9月25日付北条義時下知状『高野山文書』巻1-9号

貞応3年 1224年 6月13日 62歳
北条義時が死去する。
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