人 物 史

赤松政則 あかまつ まさのり
生 没 年享徳4年(1455)2/19-明応5年(1496)4/25
出 身-幼 名次郎法師丸
別 称-
法 名-
戒 名松泉院無等性雲
赤松時勝-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者伊勢貞親の娘、洞松院(細川勝元の娘)
赤松村秀、赤松義村[養子]
官 位兵部少輔、左京大夫
役 職室町幕府 侍所頭人
加賀半国守護、播磨国守護、美作国守護、備前国守護、山城国守護
城 郭-
参 考 文 献赤松政則に関する参考文献
関 連 デ ー タ赤松政則の関連文化財
赤松政則 年表
享徳4年 1455年 2月19日 1歳
赤松政則が生まれる。
出典:-

康正1年 1455年 7月25日 1歳
「享徳」より「康正」に年号が改まる。
出典:-

長禄1年 1457年 9月28日 3歳
「康正」より「長禄」に年号が改まる。
出典:-

長禄2年 1458年 8月晦日 4歳
小寺藤兵衛の南朝残党討伐の際の玉璽奪還の功により、赤松法師丸が加賀国半国守護(石川・加賀両郡)に補任される。
出典:『赤松記』

長禄3年 1459年 10月5日 5歳
赤松政則が加賀国半国守護(石川・加賀両郡)に補任されたことから、赤松勢が加賀国に入部するが、笠間において赤松勢は富樫成春被官・岩室帯刀と合戦をする。
出典:(長録3年)10月11日付浦上則宗・堀秀世・阿閉重能連署感状(「中村文書」「上月文書」)

寛正1年 1460年 12月21日 6歳
「長禄」より「寛正」に年号が改まる。
出典:-

文正1年 1466年 2月28日 12歳
「寛正」より「文正」に年号が改まる。
出典:-

応仁1年 1467年 3月5日 13歳
「文正」より「応仁」に年号が改まる。
出典:-

応仁1年 1467年 5月26日 13歳
細川勝元赤松政則山名宗全を攻める。
出典:『後法興院政家記』同年月日条

文明1年 1469年 4月28日 15歳
「応仁」より「文明」に年号が改まる。
出典:-

文明5年 1473年 3月18日 19歳
山名宗全が死去する。
出典:-

文明5年 1473年 5月11日 19歳
細川勝元が死去する。
出典:-

長享1年 1487年 7月20日 33歳
「文明」より「長享」に年号が改まる。
出典:-

延徳1年 1489年 8月21日 35歳
「長享」より「延徳」に年号が改まる。
出典:-

明応1年 1492年 7月19日 38歳
「延徳」より「明応」に年号が改まる。
出典:-

明応5年 1496年 4月25日 42歳
赤松政則が死去する。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年4月29日条

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