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人 物 史
尊海
そんかい
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1
生 没 年
?-?
出 身
安芸国平良荘
俗 姓(氏)
-
俗 名
-
別 称
-
院 号 坊 号
-
父
-
母
-
兄 弟 姉 妹
-
所 属 寺 社
大願寺
厳島神社
[本願]
[勧進]
宇佐神社[勧進]
僧 位 僧 官
-
諡 号
-
師 匠
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
尊海 年表
- -年 -月-日
尊海
が生まれる。
出典:-
天文7年 1538年 5月12日
尊海
が朝鮮国に大蔵経を求める使節の副使として博多(筑前国)に赴く。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文7年 1538年 7月1日
正使 印漢、副使
尊海
が博多(筑前国)を出港する。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文7年 1538年 7月8日
尊海
が壱岐国に到着する。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文7年 1538年 7月9日
尊海
が壱岐国を出港する。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文7年 1538年 7月10日
尊海
が対馬国府中に到着する。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文7年 1538年 9月2日
船頭が定まらないという事件が起こるが、この日、船頭を宗長幸(対馬国)と渡辺右衛門尉(周防国山口)に定める。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文8年 1539年 3月20日
印漢が朝鮮には大蔵経が存在しないという夢を見たため、朝鮮への出港が滞っていたが、
尊海
は大蔵経の有無を確かめるため渡海を決意する。印漢に大蔵経が手に入るよう祈願を依頼するが、かえって印漢の怒りを買い、印漢に大蔵経が手に入らないよう調伏の祈祷をすると言われる。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文8年 1539年 5月9日
朝鮮国の釜山浦に到着する。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文8年 1539年 5月12日
釜山浦鎮 慶尚左道水軍僉節制使と東莱県令に倭館の大庁で会見する。酒宴が催される。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文8年 1539年 6月8日
漢城より通事(司訳院)の張氏が釜山にやってくる。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文8年 1539年 6月11日
尊海
一行に役只(まかない)が振る舞われる。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文8年 1539年 6月12日
尊海
一行が接待を受ける。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文8年 1539年 6月14日
尊海
一行が接待を受ける。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文8年 1539年 6月15日
河舟の衆7人を調達する。漢城まで運ぶ荷物の総量は93駄。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
天文8年 1539年 6月15日
陸衆8人を調達する。また釜山浦鎮 慶尚左道水軍僉節制使)と東莱県令による酒宴あり。梁山に到着する。
出典:『大願寺尊海渡海日記』
- -年 -月-日
尊海
が死去する。
出典:-
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