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神 社 史
厳島神社(安芸国宮島)
いつくしまじんじゃ
祭 神
宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)
創 建
-
別 称
厳島社
関連宗教施設
-
現 所 在 地
〒739-0588
広島県廿日市市宮島町1-1
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旧 所 在 地
-
史 料 地 名
-
イ メ ー ジ
-
参 考 文 献
-
リ ン ク
-
厳島神社(安芸国宮島) 年表
建武2年 1335年 5月-日
足利尊氏
が
厳島社
に参詣する。
出典:『桜雲記』巻之上
天文24年 1555年 9月3日
陶晴賢
が安芸国を攻めるべく、軍勢27000を率い山口(周防国)を発つ。
出典:『陰徳太平記』巻25「陶入道厳島渡海之評定之事」
天文24年 1555年 9月7日
陶晴賢
率いる大内勢が岩国(周防国)の永興寺(周防国)に陣取る。
出典:『陰徳太平記』巻25「陶入道厳島渡海之評定之事」
天文24年 1555年 9月26日
乃美宗勝が
村上通康
の来島海賊衆500艘を伴い厳島(安芸国)に上陸する。
出典:『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)
天文24年 1555年 9月28日
陶晴賢
勢が攻撃中の宮尾城(安芸国)に
熊谷信直
・高直・直清・広真・三須隆経が入る。
出典:『陰徳太平記』巻26「能島久留島与力元就付弘中隆包軍議事」
天文24年 1555年 9月30日
毛利元就
が廿日市(安芸国)より軍勢を率いて出航し、厳島(安芸国)に上陸する。
出典:『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」
天文24年 1555年 10月1日
厳島(安芸国)に滞在中の
陶晴賢
を
毛利元就
が急襲し、晴賢は自害する。
出典:『言延覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年)、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」、同巻28「陶全羨最後之事」
弘治3年 1557年 6月18日
毛利元就
が
厳島神社(安芸国宮島)
にて万部経法会を執行する。
出典:『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)
永禄6年 1563年 7月6日
毛利隆元
が厳島(安芸国)に赴く。
聖護院道増
に暇乞いをする。
出典:『桂岌円覚書』
天正15年 1587年 7月13日
細川幽斎
が
厳島社
に逗留する。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第10「幽斎道之事」
天正15年 1587年 7月14日
細川幽斎
が
厳島社
に逗留する。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第10「幽斎道之事」
天正15年 1587年 7月15日
細川幽斎
が
厳島社
の神前で行われた延年を見物する。夜、宮島を出航する。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第10「幽斎道之事」
天正16年 1588年 7月8日
午刻(11-13時)、
毛利輝元
が草津(安芸国)を出立し、厳島(安芸国)に到着する。
厳島社
(安芸国)に参詣する。
吉川広家
が輝元一行に合流する。申刻(15-17時)、輝元は厳島を出立し、似島(安芸国)に到着し宿泊する。
穂井田元清
・
秀元
が輝元に合流する。
出典:『天正記』同年月日条、『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」
天正20年 1592年 4月15日
豊臣秀吉
が広島(安芸国)を出立する。草津(安芸国)にて船に乗り厳島神社に参詣する。高森(周防国)に宿泊する。
出典:『太閤さま軍記のうち』
文禄2年 1593年 1月3日
近衛信尹
が宮島(安芸国)に到着する。
出典:『三藐院記』同年月日条
慶長5年 1600年 6月17日
毛利輝元
が
厳島神社
(安芸国)に参詣する。夜、
広島城
(安芸国)に帰城する。
出典:『関原陣輯録』「家康公上杉景勝退治として御出陣の事」(三坂圭治校訂『戦国期毛利氏史料撰』マツノ書店、1987年)
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