人 物 史

長宗我部国親 ちょうそかべ くにちか
生 没 年永正1年(1504)-永禄3年(1560)6/15
出 身-幼 名千雄丸
別 称-
法 名覚世
戒 名瑞王覚世
長宗我部兼序-
兄 弟 姉 妹長宗我部国親、黒川元春、長宗我部国康、女(吉田孝頼の妻)、女(片岡光茂の妻)
配 偶 者-
長宗我部元親、吉良親貞、香宗我部親泰、長宗我部親益、女(本山茂辰の妻)、女(池頼和の妻)、養甫尼(波川清宗の妻)
官 位宮内少輔、信濃守
役 職-
城 郭岡豊城(土佐国)
参 考 文 献長宗我部国親に関する参考文献
関 連 デ ー タ-
長宗我部国親 年表
永正1年 1504年 -月-日 1歳
長宗我部国親が生まれる。
出典:-

永正1年 1504年 2月30日 1歳
「文亀」より「永正」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

大永1年 1521年 8月23日 18歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 25歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 29歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文8年 1539年 -月-日 36歳
子・元親が生まれる。
出典:-

天文20年 1551年 -月-日 48歳
長宗我部国親が山田丹波守の山田城(土佐国)を攻め、同城を落とす。
出典:『陰徳太平記』巻21「長宗我部国親討山田事」

弘治1年 1555年 10月23日 52歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 55歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄3年 1560年 5月26日 57歳
長宗我部国親が本山茂達の家臣・大窪美作守が守る長浜城(土佐国)を急襲し、同城を落とす。
出典:『南海通紀』巻12「長宗我部宮内少輔抜長浜城記」

永禄3年 1560年 5月28日 57歳
本山茂辰が朝倉城(土佐国)より出陣し、長浜城(土佐国)を攻めるため木須賀に陣取る。
出典:『南海通紀』巻12「長宗我部宮内少輔抜長浜城記」

永禄3年 1560年 5月29日 57歳
戸ノ本(土佐国)にて本山茂辰と長宗我部国親元親が戦い、国親が勝利する。
出典:『南海通紀』巻12「長宗我部宮内少輔抜長浜城記」

永禄3年 1560年 6月15日 57歳
長宗我部国親が死去する。
出典:『南海通紀』巻12「長宗我部宮内少輔抜長浜城記」

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