人 物 史

足利基氏 あしかが もとうじ
生 没 年暦応3年・興国1年(1340)3/5-貞治6年・平22年(1367)4/26
出 身-幼 名光王丸、亀若丸
別 称入間川殿
法 名-
戒 名瑞泉寺玉巌道昕
足利尊氏登子(北条久時の娘)
兄 弟 姉 妹足利竹若丸、足利直冬、足利義詮、足利基氏、足利鶴王
配 偶 者清渓尼(畠山家国の娘)
足利氏満、娘(六角満高の妻)
官 位左馬頭、左兵衛督
役 職室町幕府 鎌倉公方
城 郭-
参 考 文 献足利基氏に関する参考文献
○『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項
関 連 デ ー タ足利基氏の関連文化財
足利基氏 年表
暦応3年・興国1年 1340年 3月5日 1歳
足利基氏が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項

観応2年・正平6年 1351年 7月30日 12歳
足利直義が京を抜け北陸に落ちる。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 10月8日 12歳
足利直義が鎌倉(相模国)に着く。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 12月15日 12歳
薩唾山の合戦で足利尊氏足利直義が戦い尊氏が勝利する。直義は尊氏に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応3年・正平7年 1352年 1月25日 13歳
足利基氏が従三位・左衛門督に叙位・任官。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項

観応3年・正平7年 1352年 2月26日 13歳
足利直義が死去する。毒殺が噂される。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応3年・正平7年 1352年 2月26日 13歳
叔父・直義が死去する。毒殺が噂される。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 4月29日 19歳
父・尊氏が死去する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 10月10日 19歳
竹沢右京亮、江戸遠江守、江戸下野守、蒲田忠武が多摩川の矢口渡にて新田義興を殺害する。
出典:-

貞治6年・正平22年 1367年 4月26日 24歳
足利基氏が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項

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