人 物 史

足利直冬 あしかが ただふゆ
生 没 年嘉暦2年(1327)-至徳4年・元中4年(1387)7/2
出 身-幼 名新熊野
別 称-
法 名-
戒 名慈恩寺玉渓道昭
足利尊氏足利直義[養父]越前局
兄 弟 姉 妹足利竹若丸、足利直冬足利義詮足利基氏、足利鶴王
配 偶 者少弐頼尚の娘
足利冬氏、等珊、等章、乾桃、宝山乾珍
官 位宮内大輔、左兵衛佐
役 職室町幕府 長門探題、九州探題
城 郭-
参 考 文 献足利直冬に関する参考文献
関 連 デ ー タ足利直冬の関連文化財
足利直冬 年表
嘉暦2年 1327年 -月-日 1歳
足利直冬が生まれる。
出典:-

元徳1年 1329年 8月29日 3歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元徳2年 1330年 6月18日 4歳
弟・義詮が生まれる。
出典:-

元弘1年 1331年 8月9日 5歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

正慶1年 1332年 4月28日 6歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 2月29日 10歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

暦応3年・興国1年 1340年 3月5日 14歳
弟・基氏が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項

観応1年 1350年 12月9日 24歳
足利直義が南朝に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 7月30日 25歳
足利直義が京を抜け北陸に落ちる。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 10月8日 25歳
足利直義が鎌倉(相模国)に着く。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 12月15日 25歳
薩唾山の合戦で足利尊氏足利直義が戦い尊氏が勝利する。直義は尊氏に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応3年・正平7年 1352年 2月26日 26歳
養父・直義が死去する。毒殺が噂される。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 4月29日 32歳
父・尊氏が死去する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 4月26日 37歳
弟・基氏が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第78「足利基氏」の項

貞治6年・正平22年 1367年 11月25日 41歳
足利義詮が政務を子・義満に譲り、細川頼之を管領とする。
出典:『愚管記』同年月26日条

貞治6年・正平22年 1367年 12月7日 41歳
弟・義詮が死去する。
出典:-

正平23年 1368年 3月11日 42歳
後村上天皇が崩御する。
出典:-

応安3年・建徳1年 1370年 7月24日 44歳
「正平」より「建徳」に南朝の年号が改まる。
出典:-

康暦1年 1379年 3月22日 53歳
「永和」より「康暦」に北朝の年号が改まる。
出典:-

至徳4年・元中4年 1387年 7月2日 61歳
足利直冬が死去する。
出典:-

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