人 物 史

江馬秀次 えま ひでつぐ
生 没 年慶長6年(1601)-正保4年(1647)5/20
出 身-幼 名-
別 称弥三、与右衛門
法 名寿勝
戒 名-
江馬一成-
兄 弟 姉 妹江馬秀次
配 偶 者-
江馬義次、江馬次直、娘(小栗治部右衛門の妻)、娘、江馬某、江馬成次
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第8輯 刊本
関 連 デ ー タ-
江馬秀次 年表
慶長6年 1601年 -月-日 1歳
江馬秀次が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第1342「江馬秀次」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第1342「江馬秀次」の項

慶長8年 1603年 2月12日 3歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 5歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

元和1年 1615年 7月13日 15歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 16歳
徳川家康が死去する。
出典:-

元和2年 1616年 -月-日 16歳
江馬秀次徳川頼宣に付される。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第1342「江馬秀次」の項

寛永1年 1624年 2月30日 24歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
出典:-

寛永9年 1632年 1月24日 32歳
徳川秀忠が死去する。
出典:-

正保1年 1644年 12月16日 44歳
「寛永」より「正保」に年号が改まる。
出典:-

正保4年 1647年 5月20日 47歳
江馬秀次が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第1342「江馬秀次」の項

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