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人 物 史
実観
じっかん
生 没 年
寛文1年(1661)3/22-?
出 身
三河国
額田郡岡崎
俗 姓(氏)
中根
俗 名
-
別 称
実増
院 号 坊 号
実蔵院
父
中根氏
母
太田氏
兄 弟 姉 妹
-
所 属 寺 社
延暦寺
東塔実蔵坊
僧 位 僧 官
権大僧都、大僧都、僧正
諡 号
-
師 匠
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
実観 年表
万治4年 1661年 3月22日 1歳
実観
が三河国額田郡岡崎にて生まれる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
寛文1年 1661年 4月25日 1歳
「万治」より「寛文」に年号が改まる。
出典:-
寛文6年 1666年 -月-日 6歳
実俊
に従い寛永寺常照院に入る。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
寛文10年 1670年 -月-日 10歳
実俊
に従い
延暦寺
に入る。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
寛文12年 1672年 6月4日 12歳
実観
が剃髪する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
延宝1年 1673年 9月21日 13歳
「寛文」より「延宝」に年号が改まる。
出典:-
延宝1年 1673年 -月-日 13歳
実観
が師について四度の密法を修す。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
延宝3年 1675年 10月-日 15歳
実観
が法華会の立者となるにおよび法曼院において伝法灌頂を受ける。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
天和1年 1681年 9月29日 21歳
「延宝」より「天和」に年号が改まる。
出典:-
貞享1年 1684年 2月21日 24歳
「天和」より「貞享」に年号が改まる。
出典:-
貞享2年 1685年 5月-日 25歳
山城国蓮華寺の住持となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
貞享2年 1685年 10月-日 25歳
法曼院において大阿闍梨となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
貞享3年 1686年 6月-日 26歳
御懺法講の賞として権大僧都となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
元禄1年 1688年 9月30日 28歳
「貞享」より「元禄」に年号が改まる。
出典:-
元禄9年 1696年 -月-日 36歳
実観
が曼殊院良応親王より三昧流の教えを受け、常陸国千妙寺におもむき亮宣から伝法灌頂を受ける。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
元禄12年 1699年 6月-日 39歳
擬講となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
元禄12年 1699年 9月-日 39歳
小川坊城俊広の猶子となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
元禄14年 1701年 5月-日 41歳
大僧都となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永1年 1704年 3月13日 44歳
「元禄」より「宝永」に年号が改まる。
出典:-
宝永1年 1704年 10月-日 44歳
法華会の擬講となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永2年 1705年 4月-日 45歳
法勝寺の和尚となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永2年 1705年 11月-日 45歳
別請立義の立者となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永2年 1705年 11月-日 45歳
尊通・慈晃のために青蓮院において伝法灌頂を授ける。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永4年 1707年 8月-日 47歳
権僧正となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永4年 1707年 11月-日 47歳
執行となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永4年 1707年 11月-日 47歳
公弁親王の命により寛永寺に赴く。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永4年 1707年 12月-日 47歳
凌雲院・喜多院の住持となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永5年 1708年 1月-日 48歳
僧正となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永5年 1708年 閏1月-日 48歳
法勝寺の和尚を辞す。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永5年 1708年 8月-日 48歳
延暦寺
に戻る。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永5年 1708年 10月-日 48歳
法華会の探題となる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
宝永5年 1708年 10月-日 48歳
寛永寺に赴く。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「実蔵坊」の項(『天台宗全書』)
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