寺 院 史

延暦寺(近江国) えんりゃくじ
本 尊-
創 建-
開 基最澄
山 号-
宗 派天台宗
別 称-
関連宗教施設-
現 所 在 地〒520-0116
滋賀県大津市坂本本町4220

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旧 所 在 地-
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク-
延暦寺 年表
弘仁13年 822年 6月4日 
最澄が死去する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「浄土院」の項(『天台宗全書』)

天長1年 824年 9月3日 
大講堂(東塔)の供養を行う。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「大講堂」の項(『天台宗全書』)

天長1年 824年 -月-日 
大講堂(東塔)を建立し、胎蔵界大毘盧遮那仏・弥勒・観音・梵天帝釈四天王・文殊師利聖僧を安置する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「大講堂」の項(『天台宗全書』)

天長4年 827年 -月-日 
勅により戒壇院を建立する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「戒壇院」の項(『天台宗全書』)

天長4年 827年 -月-日 
鐘堂(東塔)を光定大師が建立。前丹波守浄野夏野が鐘銘を作り、嵯峨天皇が清書する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「鐘堂」の項(『天台宗全書』)

貞観6年 864年 1月14日 
円仁が慈叡房にて死去する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「前唐院」の項(『天台宗全書』)

仁和4年 888年 -月-日 
前唐院(東塔)を建立する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「前唐院」の項(『天台宗全書』)

治承3年 1179年 10月19日 
平知盛・平経盛が延暦寺堂衆を討つ。
出典:『玉海』同年月日条

治承4年 1180年 3月17日 
園城寺僧徒が延暦寺興福寺とともに鳥羽法皇、高倉上皇をさらうとの風聞があったため、平宗盛・平通盛・平経正が鳥羽殿を平知盛が高倉上皇の御所を警固する。
出典:『玉海』同年月日条

寿永2年 1183年 7月25日 
源義仲延暦寺に陣取る。 平宗盛は安徳天皇を連れ西国に逃れる。
出典:『北条九代記』上

文保3年 1319年 4月25日 
4/18、園城寺に勅使が派遣され供養が行われたことに立腹した延暦寺は園城寺に向かい大津(近江国)の在家や園城寺内の堂舎・仏閣・僧坊を一宇も残さず焼き払う。
出典:『文保三年記』同年月日条

文保3年 1319年 5月1日 
園城寺の大鐘を御室戸に運ぶのを聞きつけた延暦寺が、それを阻止しようと襲撃する。攻撃を加えた延暦寺僧のうち疵を負った者もあり、また西塔讃岐竪者は武士によって討たれたという。
出典:『文保三年記』同年月日条

正中2年 1325年 6月25日 
延暦寺無動寺に落雷し、坊舎30余所が焼ける。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 5月27日 
後醍醐天皇延暦寺に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延元1年 1336年 6月-日 
足利尊氏延暦寺に籠る後醍醐天皇を攻める。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 10月10日 
後醍醐天皇延暦寺より京都に還幸する。帝位を恒良親王に譲位する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

永享7年 1435年 2月3日 
円明坊・杉生坊が討たれる。延暦寺根本中堂・薬師像三体が焼失する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

永享8年 1436年 10月11日 
延暦寺根本中堂の立柱。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

文明7年 1475年 6月9日 
延暦寺東塔南谷の塔舎の悉くが西谷より破れる。これは勧進がないためであるという。
出典:『実隆公記』同年月日条

文明7年 1475年 12月4日 
亥刻(21-23時)、比叡山山上で火が上がる。
出典:『実隆公記』同年月日条

明応2年 1493年 4月30日 
梶井宮堯胤が天台座主に補任される。
出典:天台座主任免覚書(『延暦寺文書』32号)

明応2年 1493年 11月15日 
日吉社の社頭に土一揆が籠る。延暦寺が土一揆勢を攻撃し、大宮・八王子を残し社殿が焼失する。
出典:『言国卿記』同年月15・16日条

明応3年 1494年 3月-日 
延暦寺の根本中堂が焼亡する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)

明応8年 1499年 7月-日 
延暦寺根本中堂が焼亡する。
出典:明応9年2月日付延暦寺大衆申状(『延暦寺文書』22号)

永正15年 1518年 4月4日 
延暦寺にて供養が行われる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)

永正15年 1518年 4月8
-
日 
梶井宮堯胤法親王が天台座主を辞す。
出典:天台座主任免覚書(『延暦寺文書』32号)

永正15年 1518年 4月13日 
妙法院覚胤法親王が天台座主に補任される。
出典:天台座主任免覚書(『延暦寺文書』32号)

天文5年 1536年 6月2日 
法華衆退治のことについて天皇に奏聞するよう延暦寺三院が天台座主に依頼する。
出典:(天文5年)6/2付延暦寺三院執行代等連署状(『延暦寺文書』47号)

天文5年 1536年 7月11日 
延暦寺と法華衆の確執について木沢長政進藤貞治が申し合わせをする。
出典:『巌助往年記 上』同年月日条

天文5年 1536年 7月23日 
京都の法華衆寺院を攻める延暦寺の合力として六角定頼が東山(山城国)に布陣する。
出典:『巌助往年記 上』同年月日条

天文5年 1536年 7月26日 
延暦寺衆徒3000を催し洛中の日蓮宗寺院を焼き討ちにする(天文法華の乱)。
出典:『足利季世記』巻四 法華乱之事

天文5年 1536年 7月27日 
延暦寺衆徒、六角定頼が京都の法華宗寺院を攻撃する。これにより、上京の一条・小川あたりが焼け、誓願寺講堂が焼失する。下京も放火される。
出典:『巌助往年記』同年月日条

天文7年 1538年 12月22日 
延暦寺西塔院執行代および西学坊より本願寺証如のもとに末寺銭催促状が到来する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 12月24日 
本願寺証如の使者として円山隠岐が伊勢貞孝のもとに訪れる。貞孝は隠岐に対面する。
延暦寺西塔院に納める末寺銭30貫文・樽代2貫500文を西塔院の使者に渡す。
出典:『天文日記』同年月日条

天文8年 1539年 1月9日 
延暦寺西塔院に納めた末寺銭30貫文の請取状が到来する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文8年 1539年 2月24日 
延暦寺東塔・西塔より、坂本関・四屋関が勝手な行いをするため、関所の徴収者を小唐崎に変更したので、東国・北国から大坂本願寺にやってくる門徒衆にその旨を知らせるようにと通知がくる。
出典:『天文日記』同年月日条

天文16年 1547年 6月17日 
本圀寺日泰・法華寺日要・本能寺日宗が六角家重臣進藤貞治・平井高好に、法華衆と延暦寺との和睦の条件について、白袈裟・素絹・朱柄笠・塗足駄を用いて徘徊しないこと、紫以上の袈裟を寺内であっても着用しないこと、地下人の葬送の際に勅会の際に着用する装束は着ないこと、輿に乗って洛中を徘徊しないこと、平絹の白五条を着用すること、僧俗ともに法席以外で一般人に対し「法理」と言って争論をしないことを提示する。また、日吉祭の祭礼費用として法華衆が毎年3月に100貫文を坂本(近江国)にて進納することを伝える。
これを受け、六角定頼は、法華衆の和睦条件を延暦寺三院執行代御坊中に伝える。
出典:延暦寺・日蓮衆徒講話文書案(『蜷川家文書』3-605号)

天文18年 1549年 4月26日 
筒井順昭が坂本(近江国)に赴く。道心と名乗り、延暦寺に赴く。
出典:『多聞院日記』同年5月6・18日条

天文21年 1552年 4月28日 
山科言継、宮内卿が比叡山延暦寺横川元三大師に参詣する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文22年 1553年 2月26日 
本願寺証如延暦寺西塔院へ天文21年分の末寺銭を納める。
出典:『天文日記』同年月日条

天文22年 1553年 6月25日 
山科言継が比叡山に登る。午刻(11:00-13:00)に梶井宮のもとへ参り、西塔院主を安居院が望んでいることを伝える。梶井宮からは石泉院僧正と定法寺なども西塔院主職を望んでいることを伝えられる。次に栄光坊を訪れる。病と聞いていたが看経をするなど回復していた。最後に安居院を訪れ、同院に宿泊する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文22年 1553年 6月26日 
山科言継が安居院にて斎を受ける。次に言継は梶井宮門跡のもとを訪れ碁を打つ。ついで東塔東谷観仙房へ向かうが、房主は留守。ついで月蔵坊三位のもとへ赴くが留守。最後に再度、梶井宮門跡のもとを訪れ、西塔院主職のことについて安居院が適任であることを口添えする。夕方に安居院に戻る。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文22年 1553年 6月27日 
山科言継が安居院にて斎を受ける。言継は梶井宮門跡のもとを訪れ雑談する。その後、安居院と同道して北谷に帰る。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文22年 1553年 6月28日 
山科言継が南谷栄光坊を見舞う。病は回復したという。南光坊を訪れるが留守。ついで梶井宮門跡のもとを訪れ干飯にて酒を飲む。再度、西塔院主職について安居院を推す。明日下山するため梶井宮門跡に暇乞いをする。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文22年 1553年 12月27日 
延暦寺西塔院が日吉社二宮遷宮につき本願寺証如より奉加として2000疋を得る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文24年 1555年 6月-日 
延暦寺にて六月会が執行される。勅使として万里小路資房が遣わされる。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

永禄6年 1563年 8月18日 
延暦寺東塔東谷正覚坊重盛が、上杉政虎の武運長久の祈祷を根本中堂において行う。
出典:(永禄6年)8月18日付正覚坊重盛書状(「上杉家文書」『上越市史 別編1 上杉氏文書集一』-348号)

永禄13年 1570年 3月19日 
興福寺の多聞院英俊が鞍馬寺に参詣する。その後、英俊は比叡山に上る。横川に赴く。西方院にて茶を飲む。大講堂の釈迦如来、普賢堂に赴き、普賢堂では最澄、慈恵の影像を拝す。その後、根本中堂に訪れるも本尊は拝すことができず。なお、延暦寺は「堂モ坊舎ヲ一円ハテキレタル躰」だったという。また僧衆は「大旨坂本ニ下テ乱行不法無限」というありあさまで、それは「修学懈怠」のためえだるという。また、英俊は日吉社を参詣する。「社壇ノ結構」は目を驚かすものであったが、参詣者は稀で、社人・社僧も見当たらないありさまであったという。
ついで、英俊は坂本(近江国)を訪れる。坂本は「家々数多繁昌」に見えたという。小唐崎の「イセ屋」に英俊は宿泊する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

元亀1年 1570年 9月24日 
織田信長本能寺より出陣し、逢坂を越え下坂本(近江国)に布陣する朝倉景健勢に攻めかかる。浅井長政・朝倉景健の軍勢は延暦寺に陣取る。これをうけ、信長は延暦寺に稲葉良通を遣わし、延暦寺に朝倉勢の引き渡しを求め、引き渡しに応じたならば延暦寺領を還付するよう伝えるが延暦寺は信長の要求を拒否する。信長は下坂本(近江国)に布陣する。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『信長公記』巻3(10)「志賀御陣の事」

元亀1年 1570年 12月15日 
織田信長が比叡山麓に展開していた軍勢を撤退させる。
出典:『信長公記』巻3(10)「志賀御陣の事」

元亀2年 1571年 9月12日 
織田信長延暦寺、和邇、堅田、坂本(近江国)を焼き討ちする。明智光秀を坂本(近江国)に置く。
出典:『信長公記』巻4(5)「叡山御退治の事」、『多聞院日記』同年月日条

元亀4年 1573年 4月1日 
織田信長が吉田兼見に南都が荒廃し北嶺(延暦寺)も破滅すると王都である京都の災いになるというがそれは確かなことであるのかを問う。兼見は南都北嶺が滅亡しても王城は滅しないと返答する。信長はこれを聞き喜ぶ。吉田社の修理を約束する。兼見に金子1枚を下賜する。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正10年 1582年 12月12日 
日吉社十禅師一切経の奉加を求める毛利輝元宛の綸旨・令旨が発給される。
出典:-

天正10年 1582年 12月12日 
山門・日吉社再興の奉加を求める龍造寺隆信宛の綸旨・令旨が発給される。
出典:-

天正10年 1582年 12月24日 
青蓮院尊朝南光坊祐能延暦寺南谷衆談をもって奉加を募り日吉社大宮を起立するよう命じる。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正10年 1582年 -月-日 
亮信が横川再興を勅により命じられる。
出典:『横河堂舎並各坊世譜』「恵心院」の項(『天台宗全書』)

天正11年 1583年 閏1月26日 
大仏師康正に山門三院および日吉社内神体仏像の彫刻を命じる令旨を同内容の綸旨に添えて青蓮院尊朝が発給する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正11年 1583年 閏1月-日 
神体仏像彫刻の勅許が下りる。
出典:-

天正11年 1583年 3月-日 
日吉社大宮の仮遷宮が行われる。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)、「青蓮院文書」

天正11年 1583年 3月-日 
日吉社大宮の勧進帳がなる。
出典:『華頂要略』附録

天正11年 1583年 5月-日 
青蓮院尊朝日吉社再興の奉加を天台宗諸山学頭に募る。
出典:「青蓮院文書」

天正11年 1583年 6月13日 
青蓮院尊朝延暦寺再興勧進帳を執筆する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正11年 1583年 7月1日 
日吉社聖真子念仏堂の勧進帳がなる。
出典:『華頂要略』附録

天正11年 1583年 7月15日 
青蓮院尊朝が横川三光坊に令旨を下し日吉社聖真子の再興を命じる。
出典:『天正本山再興記』,「延暦寺文書」,「青蓮院文書」

天正11年 1583年 7月23日 
佐野宗綱が日吉社三宮本殿造営に奉加を出す。
出典:『東山御文庫記録』

天正11年 1583年 -月-日 
梶井宮最胤が西塔定泉坊詮舜に令旨を下し二宮の再興を命じる。
出典:『天正本山再興記』,「延暦寺文書」,「青蓮院文書」

天正11年 1583年 8月11日 
杉原家次が材木を寄進する。
出典:『華頂要略』附録祐能記

天正11年 1583年 10月27日 
詮舜が日吉社二宮造営のため杉原家次の許可を得て大和一円(筒井順慶)勧進での勧進許可の綸旨を請う。
出典:『東山御文庫記録』

天正12年 1584年 2月11日 
豪盛延暦寺復興のため西国に勧進に赴くにあたり、その活動を認める綸旨と令旨を賜るよう施薬院全宗が鳥居小路大蔵卿に請う。
出典:2月11日付施薬院全宗書状(「曼殊院文書」『大』11-5 同年月日条)

天正12年 1584年 3月7日 
青蓮院尊朝が参内し延暦寺再興の綸旨発給を奏聞する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 3月20日 
梶井宮最胤が日吉社再造の奉加を募る令旨を上杉景勝に下す。
出典:「三千院文書」

天正12年 1584年 5月1日 
延暦寺根本中堂・戒壇院の造営につき、延暦寺僧の豪盛施薬院全宗を本願として再興するようにと命じる。
出典:天正12年5月1日付羽柴秀吉判物(『山門復興文書』)

天正12年 1584年 5月7日 
羽柴秀吉延暦寺に所領を返付し、かつ山王祭の再興を約したと噂される。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正12年 1584年 5月-日 
豪盛延暦寺根本中堂勧進帳を執筆する。
出典:『華頂要略』附録祐能記

天正12年 1584年 6月4日 
合志親為延暦寺復興勧進に奉加を出すこと約した書状を豪盛祐能に送る。
出典:6/4付合志親為書状(「三千院文書」『大』11-7)

天正12年 1584年 6月28日 
上杉景勝日吉社再興の綸旨を請けた旨を庁務御坊(三千院)に伝える。
出典:「三千院文書」

天正12年 1584年 7月10日 
延暦寺 根本中道・戒壇院の再造について勧進にて復興するようにとする綸旨が豪盛に発給される。
出典:天正12年7月10日付正親町天皇綸旨写「立石寺文書」(『山形県史』古代中世史料1)

天正12年* 1584*年 7月17日 
秋月種実が「叡山御再造」の奉加を豪盛に納める。
出典:「三千院文書」

天正12年 1584年 8月4日 
梶井宮最胤が大山寺三院衆徒中に伝教大師御廟・浄土院学室の再興奉加を募る令旨を発給する。
出典:「三千院文書」

天正12年 1584年 8月-日 
延暦寺浄土院の勧進帳が作成される。
出典:『比叡山再興縁起』

天正12年 1584年 8月-日 
延暦寺横川恵心院の勧進帳が作成される。
出典:『華頂要略』附録,「曼殊院文書勧進帳彙」

天正12年 1584年 9月-日 
亮信延暦寺横川中堂勧進帳を執筆する。
出典:「曼殊院文書勧進帳彙」

天正12年 1584年 -月-日 
恵心院亮信が勅および青蓮院尊朝より横川諸堂の復興を命じられる。
出典:『横川堂舎並各坊世譜』「中堂」の項(『天台宗全書』)

天正13年 1585年 2月12日 
青蓮院尊朝が天台座主に補任される。夜、長日如意輪法を修す。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正13年 1585年 6月-日 
延暦寺大講堂勧進帳が作成される。
出典:『華頂要略』附録

天正13年 1585年 8月5日 
上杉景勝日吉社三宮造営に奉加を出す。
出典:「三千院文書」

天正13年 1585年 8月19日 
上杉景勝日吉社三宮造営のための奉加金子10枚が届く。
出典:『華頂要略』附録祐能記

天正13年 1585年 閏8月10日 
伊達政宗のもとに延暦寺根本中堂・戒壇院と日吉社三宮の勧進奉加依頼が重複し政宗が不審の念を抱いている件について、豪盛が重複した理由を説明し、奉加依頼の綸旨発給日が早かった根本中堂・戒壇院への奉加を改めて依頼する。
出典:(天正13年)閏8月10日付豪盛書状(『伊達家文書』1-334号)

天正13年 1585年 -月-日 
豪盛延暦寺東塔東谷正覚院に住す。
出典:『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)

- -年 -月-日 
豪盛延暦寺東塔の根本中堂復興の功につき権僧正に任じられる。
出典:-

天正13年 1585年 -月-日 
延暦寺根本中堂が再興する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)

天正14年 1586年 4月8日 
日吉社大宮の遷宮が行われる。
出典:『天正本山再興記』

天正16年 1588年 10月-日 
延暦寺前唐院廟の勧進帳を作成する。
出典:『華頂要略』附録

天正16年 1588年 -月-日 
浅野長政日吉社大宮の上葺を寄進。
出典:『華頂要略』附録祐能記

天正17年 1589年 9月-日 
延暦寺にて法華会を開く。探題は豪盛、講師は祐能
出典:『東塔』「南光坊」の項(『天台宗全書』)

天正17年 1589年 -月-日 
『当代記』はこの年を延暦寺再興の年とする。
出典:『当代記』天正17年条

天正17年 1589年 -月-日 
新庄直頼が願主となっていた日吉社大宮・聖真子の神輿が完成する。
出典:『天正本山再興記』

文禄2年 1593年 -月-日 
日吉社二宮の神殿造営。
出典:『天正本山再興記』

文禄4年 1595年 -月-日 
豪盛が本願として日吉社十禅師社を再興する。
出典:『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)

文禄5年 1596年 2月3日 
豊臣秀吉延暦寺に寺領2000石を寄進する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)

慶長3年 1598年 -月-日 
日吉社聖真子・客人両殿の造営がなり、遷宮が行われる。
出典:『天正本山再興記』

慶長4年 1599年 -月-日 
日吉社二宮の造営がなる。本願は増田長盛
出典:『天正本山再興記』

慶長5年 1600年 4月8日 
随心院増孝が延暦寺にて受戒を受ける。戒師は豪盛
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長5年 1600年 9月21日 
徳川家康が法度三ヶ条を定める。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)

慶長6年 1601年 2月2日 
徳川家康延暦寺に寺領3000石を寄進する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)

慶長6年 1601年 5月-日 
日吉社八王子の神田が造営。
出典:『天正本山再興記』

慶長6年 1601年 -月-日 
豪円が宝菩提院の諸堂を再興する。
出典:『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)

慶長9年 1604年 -月-日 
淀殿により延暦寺横川中堂が改造される。
出典:『横川堂舎並各坊世譜』「中堂」の項(『天台宗全書』)

慶長13年 1608年 8月-日 
徳川秀忠延暦寺の寺領を5000石と定める判物を発給する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)

慶長19年 1614年 5月22日 
天台宗僧が駿府城(駿河国)に登城する。南殿において、南光坊天海日吉大社の八王子・三宮で起こった珍事を語る。
出典:『駿府記』同年月日条

寛永11年 1634年 -月-日 
徳川家光が五味備前守・分部若狭守・朽木民部少輔を奉行として延暦寺諸堂(根本中堂・文殊楼・大講堂・鐘堂)造営の工事を起工する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」「大講堂」「鐘堂」の項(『天台宗全書』)

寛永19年 1642年 -月-日 
延暦寺造営の造営がなる。戒壇院を修復する。天正13年に再興された根本中堂は南山の明王堂に移される。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」「文殊楼」「大講堂」「鐘堂」「戒壇院」の項(『天台宗全書』)

慶安2年 1649年 5月14日 
定心院(東塔南谷)に山王像を遷宮する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「定心院神祠」の項(『天台宗全書』)

慶安2年 1649年 -月-日 
日増院珍海が定心院(東塔南谷)を建立する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「定心院神祠」の項(『天台宗全書』)

慶安4年 1651年 11月26日 
西尊院(東塔南谷)を再造する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「西尊院」の項(『天台宗全書』)

寛文1年 1661年 8月-日 
幕府の命により浄土院(東塔)の修復を開始する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「浄土院」の項(『天台宗全書』)

寛文2年 1662年 11月-日 
浄土院(東塔)の修復がなる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「浄土院」の項(『天台宗全書』)

寛文8年 1668年 -月-日 
幕府の命により根本中堂・文殊楼を修復する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」「文殊楼」の項(『天台宗全書』)

延宝1年 1673年 -月-日 
本照院が横川中堂修復のため黄金100両を寄進する。
出典:『横川堂舎並各坊世譜』「中堂」の項(『天台宗全書』)

貞享4年 1687年 -月-日 
横川中堂の修復がなる。
出典:『横川堂舎並各坊世譜』「中堂」の項(『天台宗全書』)

元禄3年 1690年 3月11日 
西尊院(東塔南谷)を修復する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「西尊院」の項(『天台宗全書』)

宝永3年 1706年 -月-日 
幕府の命により根本中堂・文殊楼を修復する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」「文殊楼」の項(『天台宗全書』)

寛保1年 1741年 -月-日 
幕府の命により延暦寺根本中堂・文殊楼を修復する。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」「文殊楼」の項(『天台宗全書』)

宝暦3年 1753年 -月-日 
徳川家重の命により松平安芸守に延暦寺諸堂(根本中堂・戒壇院)の修復を命じる。
出典:『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)

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