人 物 史

伊達晴宗 だて はるむね
生 没 年永正16年(1519)-天正5年(1577)12/5
出 身-幼 名-
別 称次郎
法 名道祐
戒 名乾徳院殿保山道祐大居士
伊達稙宗泰心院(蘆名盛高の娘)
兄 弟 姉 妹女(相馬顕胤の妻)、女(蘆名盛氏の妻)、伊達晴宗、大崎義宣、伊達実元、女(二階堂照行の妻)、女(田村隆顕の妻)、伊達宗澄、女(懸田俊宗の妻)、桑折宗貞、葛西晴清、梁川宗清、村田宗殖、宗栄、亘理綱宗、亘理元宗、大有康甫、女(相馬義胤の妻)
配 偶 者岩城重隆の娘
岩城親隆、阿南、伊達輝宗、鏡清院(伊達実元の妻)、益穂(小梁川盛宗の妻)、伊達政景、石川昭光、彦、宝寿院(佐竹義重の妻)、国分盛重、杉目直宗
官 位左京大夫
役 職室町幕府 奥州探題
城 郭杉目城(陸奥国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ伊達晴宗の家臣
伊達晴宗 年表
永正16年 1519年 -月-日 1歳
伊達晴宗が生まれる。
出典:-

大永1年 1521年 8月23日 3歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 10歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 14歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 37歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 40歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄4年 1561年 4月21日 43歳
伊勢貞孝伊達晴宗飛鳥井雅春の陸奥下向を伝え、対面し懇意にするよう依頼する。
出典:(永禄4年)4月21日付伊勢貞孝書状(『伊達家文書』1-226号)

永禄8年 1565年 6月19日 47歳
丸森城(陸奥国)にて父・稙宗が死去する。
出典:『性山公治家記録』

永禄8年 1565年 6月23日 47歳
伊達晴宗が中島十郎に、保原郷の内、大塚信濃守分、飯坂寺分、高成田左馬允分、高成田孫五郎分、寺島信濃分、中野大膳亮分を給付する。
出典:同年月日付伊達晴宗領知宛行状(『伊達家文書』1-233号)

永禄8年 1565年 -月-日 47歳
伊達晴宗が子・輝宗に家督を譲る。輝宗は米沢城(出羽国)に在城し、晴宗は杉目城(陸奥国)に隠居する。
出典:『性山公治家記録』

永禄10年 1567年 8月7日 49歳
伊達晴宗が母・泰心院の菩提を弔うために輪王寺台心院を建立し、禅徹を住持に招く。
出典:『性山公治家記録』同年月日条

元亀1年 1570年 4月23日 52歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 9月-日 52歳
伊達輝宗に叛いた中野宗時・牧野久仲を取り逃がしたとして輝宗の勘気を蒙った小梁川盛宗が、舅である伊達晴宗と伊達実元の執り成しにより赦免される。また、盛宗と同罪とされていた白石宗利、宮内宗忠、田手宗光も赦免される。
出典:『性山公治家記録』

天正1年 1573年 7月28日 55歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正5年 1577年 1月7日 59歳
伊達晴宗の居城・杉目城(陸奥国)にて連歌会が行われる。参加者は伊達政宗
出典:『性山公治家記録』同年月日条

天正5年 1577年 12月5日 59歳
伊達晴宗杉目城(陸奥国)において死去する。
出典:『性山公治家記録』同年月日条

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.