人 物 史

武田元繁 たけだ もとしげ
生 没 年応仁1年(1467)-永正14年(1517)10/22
出 身-幼 名-
別 称元重、太郎左衛門、刑部
法 名-
戒 名-
武田元綱-
兄 弟 姉 妹武田元繁
配 偶 者飛鳥井雅俊の娘(大内義興の養女)、尼子久幸の娘
武田光和
官 位刑部少輔、安芸守
役 職-
城 郭佐東銀山城(安芸国)
参 考 文 献武田元繁に関する参考文献
関 連 デ ー タ-
武田元繁 年表
文正2年 1467年 -月-日 1歳
武田元繁が生まれる。
出典:-

応仁1年 1467年 3月5日 1歳
「文正」より「応仁」に年号が改まる。
出典:-

文明1年 1469年 4月28日 3歳
「応仁」より「文明」に年号が改まる。
出典:-

長享1年 1487年 7月20日 21歳
「文明」より「長享」に年号が改まる。
出典:-

延徳1年 1489年 8月21日 23歳
「長享」より「延徳」に年号が改まる。
出典:-

明応1年 1492年 7月19日 26歳
「延徳」より「明応」に年号が改まる。
出典:-

文亀1年 1501年 2月29日 35歳
「明応」より「文亀」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

文亀3年 1503年 -月-日 37歳
子・光和が生まれる。
出典:-

永正1年 1504年 2月30日 38歳
「文亀」より「永正」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永正14年 1517年 2月10日 51歳
武田元繁佐東銀山城(安芸国)を発し、今田に陣取る。
出典:『陰徳太平記』巻3「武田元繁帰安芸国付攻諸城事」

永正14年 1517年 10月3日 51歳
武田元繁が小田信忠の有田城(安芸国)を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻3「武田攻有田城付吉川高橋論同城事」

永正14年 1517年 10月21日 51歳
武田元繁毛利元就の猿掛城を攻めるべく、熊谷元直、山中、一条、板垣、小河内、粟屋の軍勢1000を遣わし、同城近辺を放火する。元就が猿掛城を出て熊谷等の武田勢と戦い、武田勢を退ける。
出典:『陰徳太平記』巻3「猿掛麓合戦之事」

永正14年 1517年 10月22日 51歳
有田(安芸国)にて武田元繁毛利元就が戦い、元繁が戦死し、元就が勝利する。武田方は、熊谷元直が戦死する。
出典:『陰徳太平記』巻3「有田合戦付元繁戦死之事」

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