人 物 史

福留新九郎 ふくどめ しんくろう
生 没 年永禄6年(1563)-天正10年(1582)
出 身-幼 名-
別 称-
法 名-
戒 名-
福留親政-
兄 弟 姉 妹福留儀重福留民部福留平兵衛福留新六郎福留新九郎
配 偶 者-
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官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献『福富半右衛門親政法名浄安覚書』
関 連 デ ー タ-
福留新九郎 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
永禄6年1563--1福留新九郎が生まれる。
福富半右衛門親政法名浄安覚書』に勝端合戦(天正10年 1582年)で戦死し、享年20歳と記載されていることから逆算して永禄6年(1563)を生年とした。
福富半右衛門親政法名浄安覚書
元亀1年15704238「永禄」より「元亀」に年号が改まる。-
天正1年157372811「元亀」より「天正」に年号が改まる。-
天正5年15773915父・親政が伊予国にて戦死する。福富半右衛門親政法名浄安覚書
天正10年158282820長宗我部元親勝瑞城(阿波国)を攻めるべく、軍勢を香宗我部親泰を大将とする勢と長宗我部親吉を大将とする二手に分ける。一宮成助、桑野康明が先陣。これに対し、三好存保は勝瑞城より出陣し、勝興寺に本陣を、先陣を中富川に置く。中富川にて元親と存保が戦い、元親が勝利する。戦後、元親は勝瑞城を攻めるべく同城の北にある龍音寺に陣取る。『南海通紀』巻15「阿州中富川合戦記」・「勝瑞城攻記」
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