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石高から軍役算出
軍役から石高算出
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北条高家
ほうじょう たかいえ
生 没 年
?-元弘3年(1333)4/27
出 身
-
幼 名
-
別 称
名越高家
法 名
-
戒 名
-
父
北条時家
母
-
兄 弟 姉 妹
-
配 偶 者
-
子
北条高範
官 位
尾張守
役 職
鎌倉幕府 評定衆
城 郭
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
北条高家 年表
- -年 -月-日
北条高家
が生まれる。
出典:-
正慶2年 1333年 閏2月26日
後醍醐天皇
が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が
名和長高
の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
正慶2年 1333年 4月27日
船上山(伯耆国)で挙兵した
後醍醐天皇
を討つため
北条高家
が京都を発つ。久我畷(河内国)にて千草忠顕・結城親光・
赤松則村
と戦い、戦中、佐用範家に眉間を射られ戦死する。
出典:『太平記』、『梅松論』、『関城書裏書』
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