人 物 史

赤松則村 あかまつ のりむら
生 没 年建治3年(1277)-観応1年(1350)1/11
出 身播磨国幼 名-
別 称次郎
法 名円心
戒 名-
赤松茂則-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
赤松範資、赤松貞範、赤松則祐、赤松氏範、赤松氏康
官 位-
役 職播磨国守護
城 郭白旗城(播磨国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ赤松則村の関連文化財
赤松則村 年表
建治3年 1277年 -月-日 1歳
赤松則村が生まれる。
出典:-

弘安1年 1278年 2月29日 2歳
「建治」より「弘安」に年号が改まる。
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正応1年 1288年 4月28日 12歳
「弘安」より「正応」に年号が改まる。
出典:-

永仁1年 1293年 8月5日 17歳
「正応」より「永仁」に年号が改まる。
出典:-

正安1年 1299年 4月25日 23歳
「永仁」より「正安」に年号が改まる。
出典:-

乾元1年 1302年 11月21日 26歳
「正安」より「乾元」に年号が改まる。
出典:-

嘉元1年 1303年 8月5日 27歳
「乾元」より「嘉元」に年号が改まる。
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徳治1年 1306年 12月14日 30歳
「嘉元」より「徳治」に年号が改まる。
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延慶1年 1308年 10月9日 32歳
「徳治」より「延慶」に年号が改まる。
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応長1年 1311年 4月28日 35歳
「延慶」より「応長」に年号が改まる。
出典:-

正和1年 1312年 3月20日 36歳
「応長」より「正和」に年号が改まる。
出典:-

正和3年 1314年 -月-日 38歳
子・則祐が生まれる。
出典:-

文保1年 1317年 2月3日 41歳
「正和」より「文保」に年号が改まる。
出典:-

元応1年 1319年 4月28日 43歳
「文保」より「元応」に年号が改まる。
出典:-

元亨1年 1321年 2月23日 45歳
「元応」より「元亨」に年号が改まる。
出典:-

正中1年 1324年 12月9日 48歳
「元亨」より「正中」に年号が改まる。
出典:-

嘉暦1年 1326年 4月26日 48歳
「正中」より「嘉暦」に年号が改まる。
出典:-

元徳1年 1329年 8月29日 53歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元徳3年 1331年 4月24日 55歳
後醍醐天皇が笠置城(山城国)に行幸する。
出典:『関城書裏書』

元弘1年 1331年 8月9日 55歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

元弘2年 1332年 3月7日 56歳
後醍醐天皇が配所・隠岐国に赴くべく、京都を出立する。千葉五郎左衛門・佐々木備中判官が道中を警固する。
出典:『関城書裏書』

正慶1年 1332年 4月28日 56歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 8月-日 56歳
赤松円心が苔縄城(播磨国)にて後醍醐天皇に味方するとして挙兵する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 9月-日 56歳
護良親王楠木正成等を討伐するための北条貞直・北条時治・二階堂道薀率いる幕府軍が上洛する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月24日 57歳
後醍醐天皇が配流地の隠岐国を脱出し、伯耆国稲津浦に移る。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月26日 57歳
後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 3月12日 57歳
赤松則村が鳥羽・竹田(山城国)より六波羅探題に攻め入る。
出典:『梅松論』

正慶2年 1333年 4月27日 57歳
足利高氏が篠村(丹波国)にて幕府方から後醍醐天皇方に寝返る。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』

正慶2年 1333年 4月27日 57歳
船上山(伯耆国)で挙兵した後醍醐天皇を討つため北条高家が京都を発つ。久我畷(河内国)にて千草忠顕・結城親光・赤松則村と戦い、戦中、佐用範家に眉間を射られ戦死する。
出典:『太平記』、『梅松論』、『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月7日 57歳
護良親王、千草忠顕、赤松円心、良忠が六波羅探題館を攻める。北条仲時・北条時益は関東に逃れるべく光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇とともに京都を脱す。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘3年 1333年 6月7日 57歳
後醍醐天皇が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。
出典:『関城書裏書』

建武3年 1336年 2月13日 60歳
桜山にて足利尊氏足利直義兄弟と新田義貞北畠顕家楠木正成が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 2月29日 60歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

延元1年 1336年 4月-日 60歳
足利尊氏直義兄弟が九州を発し、笠戸(周防)に入る。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 5月-日 60歳
新田義貞が兵庫(摂津国)に陣取る。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 5月25日 60歳
湊川(摂津国)にて足利尊氏新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。楠木正成が戦死する。
出典:-

延元3年 1338年 閏7月2日 62歳
藤島(越前国)にて新田義貞斯波高経の軍勢に遭遇し戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

暦応2年・延元4年 1339年 8月15日 63歳
後醍醐天皇義良親王に譲位する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

暦応2年・延元4年 1339年 8月16日 63歳
後醍醐天皇が崩御する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

暦応2年・延元4年 1339年 10月15日 63歳
後村上天皇が即位する。
出典:『大乗院日記目録』

暦応2年・延元4年 1339年 -月-日 63歳
孫・直頼が生まれる。
出典:-

貞和4年・正平3年 1348年 1月5日 72歳
四条畷(河内国)にて高師直と楠木正行が戦い、師直が勝利する。正行・正時兄弟が戦死する。
出典:-

貞和5年・正平4年 1349年 8月24日 73歳
足利直義が高師直により出家・隠居させられる。直義は恵源と名乗る。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応1年 1350年 1月11日 74歳
赤松則村が死去する。
出典:-

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