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軍役から石高算出
人 物 史
名和長年
なわ ながとし
生 没 年
?-建武3年・延元1年(1336)6/30
出 身
-
幼 名
-
別 称
又太郎、長高
法 名
-
戒 名
釈阿
父
名和行高
母
-
兄 弟 姉 妹
名和長年
、源盛
配 偶 者
-
子
名和義高、名和基長、名和高光
官 位
伯耆守、東市正
役 職
-
城 郭
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
○
名和長年の関連文化財
名和長年 年表
- -年 -月-日
名和長年
が生まれる。
出典:-
元徳3年 1331年 4月24日
後醍醐天皇
が笠置城(山城国)に行幸する。
出典:『関城書裏書』
元弘1年 1331年 9月27日
幕府を倒幕するため挙兵した
後醍醐天皇
の籠る笠置城(山城国)を攻めるため幕府軍が発向する。
出典:『関城書裏書』
元弘2年 1332年 3月7日
後醍醐天皇
が配所・隠岐国に赴くべく、京都を出立する。千葉五郎左衛門・佐々木備中判官が道中を警固する。
出典:『関城書裏書』
元弘2年 1332年 3月13日
後醍醐天皇
が美保湊(出雲国)に到着する。
出典:『桜雲記』巻之上
元弘2年 1332年 4月21日
後醍醐天皇
が隠岐国に渡海し、国分寺に入る。
出典:『桜雲記』巻之上
正慶1年 1332年 8月-日
赤松円心
が苔縄城(播磨国)にて
後醍醐天皇
に味方するとして挙兵する。
出典:『桜雲記』巻之上
正慶2年 1333年 閏2月23日
後醍醐天皇
が国分寺を脱出し富士名義綱の旅宿に移る。
出典:『桜雲記』巻之上
正慶2年 1333年 閏2月24日
後醍醐天皇
が配流地の隠岐国を脱出し、伯耆国稲津浦に移る。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
正慶2年 1333年 閏2月25日
後醍醐天皇
が野波浦に移る。
出典:『桜雲記』巻之上
正慶2年 1333年 閏2月26日
後醍醐天皇
が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が
名和長高
の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
正慶2年 1333年 閏2月26日
名和長高
が長年と改名する。
出典:『桜雲記』巻之上
正慶2年 1333年 3月3日
名和長年
が伯耆守となる。
出典:『桜雲記』巻之上
正慶2年 1333年 3月12日
赤松則村
が鳥羽・竹田(山城国)より六波羅探題に攻め入る。
出典:『梅松論』
正慶2年 1333年 4月27日
足利高氏
が篠村(丹波国)にて幕府方から
後醍醐天皇
方に寝返る。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』
正慶2年 1333年 4月27日
船上山(伯耆国)で挙兵した
後醍醐天皇
を討つため
北条高家
が京都を発つ。久我畷(河内国)にて千草忠顕・結城親光・
赤松則村
と戦い、戦中、佐用範家に眉間を射られ戦死する。
出典:『太平記』、『梅松論』、『関城書裏書』
正慶2年 1333年 5月7日
護良親王
、千草忠顕、
赤松円心
、良忠が六波羅探題館を攻める。北条仲時・北条時益は関東に逃れるべく光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇とともに京都を脱す。
出典:『桜雲記』巻之上
正慶2年 1333年 5月22日
新田義貞
が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。
北条高時
、
北条基時
が自害する。
出典:『関城書裏書』
正慶2年 1333年 5月-日
護良親王
が征夷大将軍となる。
出典:『桜雲記』巻之上
元弘3年 1333年 6月7日
後醍醐天皇
が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。
出典:『関城書裏書』
建武1年 1334年 11月5日
後醍醐天皇
が
護良親王
を謀叛の罪で捕え鎌倉(相模国)に配流する。
出典:『関城書裏書』
建武2年 1335年 7月23日
護良親王
が鎌倉(相模国)の牢獄にて淵辺義博に討たれる。
出典:『桜雲記』巻之上
建武2年 1335年 7月-日
信濃国で蜂起した北条時行が鎌倉(相模国)に攻め込む。
成良親王
、
足利直義
は応戦するも支えきれず鎌倉を退く。
成良親王
は大江時古に抱えらえ帰洛する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
建武2年 1335年 8月2日
北条時行に攻められた
足利直義
を救うため
足利尊氏
が出京する。近江国野路に到着する。
出典:『関城書裏書』、足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号
建武2年 1335年 8月17日
箱根(相模国)にて
足利尊氏
と北条時行勢が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号
建武2年 1335年 8月18日
相模川の合戦で
足利尊氏
と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号
建武2年 1335年 8月19日
足利尊氏
が鎌倉(相模国)に到着する。辻堂・片瀬原の合戦で
足利尊氏
と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号
建武2年 1335年 12月13日
箱根・竹ノ下の合戦で
足利尊氏
と尊良親王・
新田義貞
が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
建武3年 1336年 1月30日
後醍醐天皇
が京都に還幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条
建武3年 1336年 2月13日
桜山にて
足利尊氏
・
足利直義
兄弟と
新田義貞
・
北畠顕家
・
楠木正成
が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之上
延元1年 1336年 5月25日
湊川(摂津国)にて
足利尊氏
と
新田義貞
が戦い、尊氏が勝利する。
楠木正成
が戦死する。
出典:-
延元1年 1336年 6月30日
京都(山城国)に
足利尊氏
勢が攻め入り、
名和長年
が応戦するも戦死する。
出典:-
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