人 物 史

後醍醐天皇 ごだいごてんのう
生 没 年正応1年(1288)11/2-延元4年(1339)9/19
在 位文保2年3/29-延元4年9/18
1318-1339[天皇]
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後宇多天皇五辻忠子
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者西園寺キ子
護良親王、尊良親王、宗良親王、恒良親王成良親王後村上天皇、懐良親王、満良親王
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ後醍醐天皇の関連文化財
後醍醐天皇 年表
正応1年 1288年 11月2日 1歳
後醍醐天皇が生まれる。
出典:-

永仁1年 1293年 8月5日 6歳
「正応」より「永仁」に年号が改まる。
出典:-

正安1年 1299年 4月25日 12歳
「永仁」より「正安」に年号が改まる。
出典:-

乾元1年 1302年 11月21日 15歳
「正安」より「乾元」に年号が改まる。
出典:-

嘉元1年 1303年 8月5日 16歳
「乾元」より「嘉元」に年号が改まる。
出典:-

徳治1年 1306年 12月14日 19歳
「嘉元」より「徳治」に年号が改まる。
出典:-

延慶1年 1308年 10月9日 21歳
「徳治」より「延慶」に年号が改まる。
出典:-

延慶1年 1308年 -月-日 21歳
子・護良親王が生まれる。
出典:-

応長1年 1311年 4月28日 24歳
「延慶」より「応長」に年号が改まる。
出典:-

正和1年 1312年 3月20日 25歳
「応長」より「正和」に年号が改まる。
出典:-

文保1年 1317年 2月3日 30歳
「正和」より「文保」に年号が改まる。
出典:-

文保2年 1318年 2月29日 31歳
後醍醐天皇が即位する。
出典:『桜雲記』巻之上

元応1年 1319年 4月28日 32歳
「文保」より「元応」に年号が改まる。
出典:-

元亨1年 1321年 2月23日 34歳
「元応」より「元亨」に年号が改まる。
出典:-

元亨4年 1324年 3月-日 37歳
御醍醐天皇が石清水八幡宮に行幸する。
出典:『桜雲記』巻之上

元亨4年 1324年 4月-日 37歳
御醍醐天皇が賀茂に行幸する。
出典:『桜雲記』巻之上

元亨4年 1324年 9月-日 37歳
後醍醐天皇の密勅を受け、土岐頼員、多治見国長がの幕府への謀反を企てるが六波羅探題・北条範貞に露見する。範貞は両名の居所に軍勢を遣わし、頼員・国長を討ち取る。
出典:『桜雲記』巻之上

正中1年 1324年 12月9日 37歳
「元亨」より「正中」に年号が改まる。
出典:-

嘉暦1年 1326年 4月26日 37歳
「正中」より「嘉暦」に年号が改まる。
出典:-

正中1年 1324年 -月-日 37歳
子・恒良親王が生まれる。
出典:-

正中2年 1325年 5月-日 38歳
日野資朝・日野俊基が幕府倒幕を企てたとして幕府に捕縛され、鎌倉へ送還される。
出典:『桜雲記』巻之上

正中2年 1325年 7月-日 38歳
御醍醐天皇が万里小路宣房を鎌倉に遣わし、北条高時に詫びを入れる。これにより、日野資朝は佐渡国に流罪に、日野俊基は帰京が許される。
出典:『桜雲記』巻之上

正中3年 1326年 3月-日 39歳
東宮の邦良親王が死去する。
出典:『桜雲記』巻之上

嘉暦1年 1326年 7月-日 39歳
量仁親王を東宮に立てる。
出典:『桜雲記』巻之上

嘉暦1年 1326年 -月-日 39歳
子・成良親王が生まれる。
出典:-

嘉暦3年 1328年 -月-日 41歳
子・後村上天皇が生まれる。
出典:-

元徳1年 1329年 8月29日 42歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元徳2年 1330年 5月-日 43歳
御醍醐天皇の勅により幕府調伏の祈祷をしたとして、幕府が円観、文観、忠円を捕らえ鎌倉に送還する。
出典:『桜雲記』巻之上

元徳3年 1331年 3月6日 44歳
北畠顕家後醍醐天皇の前で陵王の舞を舞う。
出典:『増鏡』「むら時雨 北山行幸」、『桜雲記』巻之上

元徳3年 1331年 4月24日 44歳
後醍醐天皇が笠置城(山城国)に行幸する。
出典:『関城書裏書』

元弘1年 1331年 8月9日 44歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

元弘1年 1331年 9月27日 44歳
幕府を倒幕するため挙兵した後醍醐天皇の籠る笠置城(山城国)を攻めるため幕府軍が発向する。
出典:『関城書裏書』

元弘1年 1331年 10月-日 44歳
光厳天皇が即位する。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘2年 1332年 3月7日 45歳
後醍醐天皇が配所・隠岐国に赴くべく、京都を出立する。千葉五郎左衛門・佐々木備中判官が道中を警固する。
出典:『関城書裏書』

元弘2年 1332年 3月13日 45歳
後醍醐天皇が美保湊(出雲国)に到着する。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘2年 1332年 4月21日 45歳
後醍醐天皇が隠岐国に渡海し、国分寺に入る。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 4月28日 45歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘2年 1332年 4月-日 45歳
楠木正成下赤坂城(河内国)を攻め、同城を落とす。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 5月-日 45歳
楠木正成天王寺に陣取る。正成討伐のため六波羅より出陣した須田・高橋と正成が戦い、正成が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 7月-日 45歳
楠木正成と宇都宮公綱が戦う。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 8月-日 45歳
赤松円心が苔縄城(播磨国)にて後醍醐天皇に味方するとして挙兵する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 9月-日 45歳
護良親王楠木正成等を討伐するための北条貞直・北条時治・二階堂道薀率いる幕府軍が上洛する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 2月-日 46歳
幕府軍が赤坂城(河内国)を攻め落とす。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 2月-日 46歳
幕府軍が護良親王の拠る吉野城(大和国)を攻め落とす。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月23日 46歳
後醍醐天皇が国分寺を脱出し富士名義綱の旅宿に移る。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月24日 46歳
後醍醐天皇が配流地の隠岐国を脱出し、伯耆国稲津浦に移る。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月25日 46歳
後醍醐天皇が野波浦に移る。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月26日 46歳
後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 3月12日 46歳
赤松則村が鳥羽・竹田(山城国)より六波羅探題に攻め入る。
出典:『梅松論』

正慶2年 1333年 4月27日 46歳
足利高氏が篠村(丹波国)にて幕府方から後醍醐天皇方に寝返る。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月7日 46歳
護良親王、千草忠顕、赤松円心、良忠が六波羅探題館を攻める。北条仲時・北条時益は関東に逃れるべく光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇とともに京都を脱す。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 5月22日 46歳
新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。
出典:『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月-日 46歳
護良親王が征夷大将軍となる。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘3年 1333年 6月7日 46歳
後醍醐天皇が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。
出典:『関城書裏書』

元弘3年 1333年 7月-日 46歳
千早城(河内国)を攻めていた幕府軍が降伏する。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘3年 1333年 8月-日 46歳
後醍醐天皇足利高氏に「尊」の諱を賜う。高氏は尊氏と改名する。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘4年 1334年 1月23日 47歳
恒良親王を皇太子とする。
出典:『関城書裏書』

建武1年 1334年 1月29日 47歳
「元弘」より「建武」に年号が改まる。
出典:『関城書裏書』

建武1年 1334年 3月11日 47歳
後醍醐天皇が石清水八幡宮に参詣する。
出典:『桜雲記』巻之上

建武1年 1334年 3月17日 47歳
2年間、諸国諸荘園での検注停止を五畿七道に命じる。
出典:『建武記』

建武1年 1334年 11月5日 47歳
後醍醐天皇護良親王を謀叛の罪で捕え鎌倉(相模国)に配流する。
出典:『関城書裏書』

建武1年 1334年 12月28日 47歳
二階堂貞藤二階堂兼藤父子を六条河原にて処刑する。
出典:日静書状「上総藻原寺所蔵金剛集第六巻裏書」『南北』関東1巻-194号

建武2年 1335年 7月23日 48歳
護良親王が鎌倉(相模国)の牢獄にて淵辺義博に討たれる。
出典:『桜雲記』巻之上

建武2年 1335年 7月-日 48歳
信濃国で蜂起した北条時行が鎌倉(相模国)に攻め込む。成良親王足利直義は応戦するも支えきれず鎌倉を退く。成良親王は大江時古に抱えらえ帰洛する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

建武2年 1335年 8月2日 48歳
北条時行に攻められた足利直義を救うため足利尊氏が出京する。近江国野路に到着する。
出典:『関城書裏書』、足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月14日 48歳
国府(駿河国)にて足利尊氏と北条時行勢が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月17日 48歳
箱根(相模国)にて足利尊氏と北条時行勢が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月18日 48歳
相模川の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月19日 48歳
足利尊氏が鎌倉(相模国)に到着する。辻堂・片瀬原の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 11月18日 48歳
新田義貞の成敗を請う足利尊氏の奏状が後醍醐天皇のもとに到来する。
出典:『関城書裏書』

建武2年 1335年 12月13日 48歳
箱根・竹ノ下の合戦で足利尊氏と尊良親王・新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

建武3年 1336年 1月10日 49歳
後醍醐天皇が東坂本(近江国)に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

建武3年 1336年 1月12日 49歳
北畠顕家が愛知川(近江国)に入り、観音寺城(近江国)を攻め落とす。
出典:『太平記』巻15「奥州勢著坂本事」

建武3年 1336年 1月30日 49歳
後醍醐天皇が京都に還幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

建武3年 1336年 2月13日 49歳
桜山にて足利尊氏足利直義兄弟と新田義貞北畠顕家楠木正成が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 2月29日 49歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

延元1年 1336年 5月25日 49歳
湊川(摂津国)にて足利尊氏新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。楠木正成が戦死する。
出典:-

延元1年 1336年 5月27日 49歳
後醍醐天皇延暦寺に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延元1年 1336年 6月16日 49歳
足利尊氏東寺千手堂を陣所とする。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延元1年 1336年 6月-日 49歳
足利尊氏延暦寺に籠る後醍醐天皇を攻める。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 10月10日 49歳
後醍醐天皇延暦寺より京都に還幸する。帝位を恒良親王に譲位する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延元1年 1336年 12月20日 49歳
後醍醐天皇が京都を潜に抜け出し吉野(大和国)に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延元3年 1338年 1月-日 51歳
青野原(美濃国)にて北畠顕家と土岐頼遠・上杉憲顕・今川範国・吉良満義・高師兼が戦い、顕家が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月4日 51歳
足利尊氏北畠顕家に応戦するため、京都より近江国に高師泰・細川頼春を遣わす。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月6日 51歳
黒地川にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦う。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月14日 51歳
雲津川・墨俣川口にて高師泰・細川頼春と北畠顕家が戦い、顕家が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 2月28日 51歳
南都にて北畠顕家と北朝勢が戦い、北朝勢が勝利する。義良親王は吉野へ、顕家は河内国に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之中

建武5年 1338年 3月8日 51歳
八幡および古市川原にて北朝勢と南朝勢が戦い、北朝勢が勝利する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 5月22日 51歳
石津の合戦で北畠顕家が高師直と戦い、師直が勝利する。顕家は阿倍野にて戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 5月29日 51歳
後醍醐天皇が畿内の情勢が後醍醐方に有利であると偽って阿蘇氏に援軍を求める綸旨を発給する。
出典:延元3年5月29日付後醍醐天皇綸旨「肥後阿蘇家文書」『南北朝遺文』九州編1-1179号

延元3年 1338年 6月-日 51歳
高師直が南朝勢の籠る八幡(山城国)を攻め、南朝勢を追い払う。
出典:『桜雲記』巻之中

延元3年 1338年 閏7月2日 51歳
藤島(越前国)にて新田義貞斯波高経の軍勢に遭遇し戦死する。
出典:『桜雲記』巻之中

暦応2年・延元4年 1339年 8月15日 52歳
後醍醐天皇義良親王に譲位する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

暦応2年・延元4年 1339年 8月16日 52歳
後醍醐天皇が崩御する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

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