人 物 史

村上義清 むらかみ よしきよ
生 没 年文亀1年(1501)3/11-天正1年(1573)1/1
出 身-幼 名武王丸
別 称-
法 名-
戒 名日滝寺殿紅雲正清公大禅門
村上顕国斯波義寛の娘
兄 弟 姉 妹村上義清
配 偶 者小笠原長棟の娘、高梨澄頼の娘
村上義利、村上義勝、村上義照、村上義邦、村上国清、娘(村上義満の妻)、娘(内山清宗の妻)、娘(村上義房の妻)、娘(高梨頼治の妻)、娘(会田清幸の妻)、娘(屋代政国の妻)
官 位右京権亮、佐渡守、左衛門尉、左衛門佐、周防守、左馬頭、信濃守、兵部大輔
役 職-
城 郭葛尾城(信濃国)、砥石城(信濃国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ村上義清の関連文化財
村上義清 年表
文亀1年 1501年 3月11日 1歳
村上義清が生まれる。
出典:-

永正1年 1504年 2月30日 4歳
「文亀」より「永正」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

大永1年 1521年 8月23日 21歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 28歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 32歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文9年 1540年 1月16日 40歳
海尻(信濃国)において武田晴信村上義清が戦う。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)

天文11年 1542年 閏3月20日 42歳
平澤において武田晴信村上義清が戦う。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)

天文11年 1542年 10月23日 42歳
大門峠(信濃国)において武田晴信村上義清小笠原長時が戦う。
武田晴信勢:小田切光信(戦死)。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)、『寛政重修諸家譜』巻第395「小田切某(光信)」の項

天文13年 1544年 3月14日 44歳
砥石(信濃国)において武田晴信村上義清が戦う。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)

天文19年 1550年 9月9日 50歳
横田高松が楽巌寺雅方・布下仁兵衛の籠る砥石城(信濃国)を攻める。
出典:-

天文19年 1550年 10月1日 50歳
武田晴信村上義清の砥石城(信濃国)を攻めるが敗れる。5000人が討死したと噂される。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

天文19年 1550年 10月1日 50歳
横田高松が砥石城(信濃国)攻めを断念し撤退する。村上勢が高松を追い打ちし、高松が戦死する。
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天文20年 1551年 5月26日 51歳
真田幸綱が砥石城(信濃国)を乗っ取る。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 55歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
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弘治4年 1558年 2月28日 58歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
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元亀1年 1570年 4月23日 70歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀4年 1573年 1月1日 73歳
村上義清が死去する。
出典:-

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