人 物 史

真田幸綱 さなだ ゆきつな
生 没 年永正10年(1513)-天正2年(1574)5/19
出 身-幼 名-
別 称次郎三郎、源太左衛門、一徳斎
法 名幸隆
戒 名-
真田頼昌海野棟綱の娘
兄 弟 姉 妹真田綱吉、真田幸綱、矢沢頼綱、常田隆永、鎌原幸定、海野幸景、萩原綱重
配 偶 者河原隆正の妹
真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝、娘(根津信忠の妻)、娘(長坂昌国の妻)、娘(遠山右馬助の妻)
官 位弾正忠
役 職-
城 郭砥石城(信濃国)
参 考 文 献真田幸綱に関する参考文献
関 連 デ ー タ-
真田幸綱 年表
永正10年 1513年 -月-日 1歳
真田幸綱が生まれる。
出典:-

大永1年 1521年 8月23日 9歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
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享禄1年 1528年 8月20日 16歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 20歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
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天文6年 1537年 -月-日 25歳
子・信綱が生まれる。
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天文16年 1547年 -月-日 35歳
子・昌幸が生まれる。
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天文19年 1550年 9月9日 38歳
横田高松が楽巌寺雅方・布下仁兵衛の籠る砥石城(信濃国)を攻める。
出典:-

天文19年 1550年 10月1日 38歳
横田高松が砥石城(信濃国)攻めを断念し撤退する。村上勢が高松を追い打ちし、高松が戦死する。
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天文20年 1551年 5月26日 39歳
真田幸綱が砥石城(信濃国)を乗っ取る。
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弘治1年 1555年 10月23日 43歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治2年 1556年 9月8日 44歳
真田幸綱・小山田虎満が東天飾城(信濃国)を攻め、同城を落とす。
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弘治4年 1558年 2月28日 46歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
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永禄4年 1561年 9月10日 49歳
川中島(信濃国)にて武田信玄上杉政虎が戦う。武田勢:武田信繁(戦死)、室住虎光(戦死)、山本晴幸(戦死)、初鹿野忠次(戦死)、油川信吉[戦死]、田沢正俊(戦死)、山高親之(信繁の首級奪還)。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第147「油川信吉」、同巻第150「田沢正俊」の項、同巻第160「山高親之」の項

永禄6年 1563年 2月22日 51歳
武田信玄が長野業盛の籠る箕輪城(上野国)を攻め、同城を落とす。
出典:『上野国群馬郡箕輪軍記上』

永禄9年 1566年 -月-日 54歳
孫・信幸が生まれる。
出典:-

永禄10年 1567年 -月-日 55歳
孫・信繁が生まれる。
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永禄12年 1569年 10月4日 57歳
武田信玄北条氏康北条氏政父子の籠る小田原城(相模国)の攻略を諦め、同地より撤退する。
出典:(永禄12年)10月16日付北条氏康書状(『上杉家文書』1-585号)

元亀1年 1570年 4月23日 58歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀3年 1572年 12月22日 60歳
三方ヶ原(遠江国)にて武田信玄徳川家康が戦い、信玄が勝利する。
武田信玄勢:真田昌幸土屋昌続横手信俊[山県昌景勢]、山高信親(戦死)。
徳川家康勢:酒井忠次酒井正親榊原康政[先鋒]、小栗忠政鳥居忠広(戦死)・野々山元政(戦死)、石川正俊(戦死)、渥美友勝
織田勢:平手汎秀(戦死)。
浜松城(遠江国)留守居衆:石川家成、小笠原広重。
出典:『信長公記』巻5(4)「身方が原合戦の事」、『寛政重修諸家譜』巻第23「松平家忠」の項、同26「松平康安」の項、同45「小栗忠政」の項、同52「松平康元」の項、同59「酒井正親」の項、同65「酒井忠次」の項、同87「土屋昌次」の項、同100「榊原康政」の項、同118「石川家成」の項、同122「石川正俊」の項、同110「野々山元政」の項、同160「山高信親」の項、同163「柳沢信俊」の項、同191「小笠原広重」の項、同961「渥美友勝」の項

元亀4年 1573年 4月12日 61歳
武田信玄が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第145「武田晴信」の項

天正1年 1573年 7月28日 61歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正2年 1574年 5月19日 62歳
真田幸綱が砥石城(信濃国)にて死去する。
出典:-

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