人 物 史

小笠原長時 おがさわら ながとき
生 没 年永正11年(1514)-天正11年(1583)2/25
出 身信濃国林幼 名豊松丸
別 称又次郎、湖雲斎
法 名-
戒 名麒翁正麟長時院
小笠原長棟浦野尚宗の娘
兄 弟 姉 妹小笠原長時、小笠原信定、清鑑、女(藤沢頼親の妻)、小笠原貞種、統虎、女(諏訪頼敬の妻)、女(小笠原長政の妻)
配 偶 者仁科盛明の娘
小笠原長隆、小笠原貞次、娘(風間氏の妻)、小笠原貞慶
官 位信濃守、右馬頭、大膳大夫
役 職信濃国守護
城 郭深志城(信濃国)
参 考 文 献○『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長時」の項
関 連 デ ー タ-
小笠原長時 年表
永正11年 1514年 -月-日 1歳
小笠原長時が信濃国林にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長時」の項

大永1年 1521年 8月23日 8歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 15歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 19歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文7年 1538年 7月19日 25歳
韮崎において武田晴信小笠原長時・諏訪頼重が戦い、晴信が勝利する。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)

天文11年 1542年 3月9日 29歳
瀬澤において武田晴信が諏訪頼重・村上義清小笠原長時・木曽義政と戦う。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)

天文11年 1542年 10月23日 29歳
大門峠(信濃国)において武田晴信村上義清小笠原長時が戦う。
武田晴信勢:小田切光信(戦死)。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)、『寛政重修諸家譜』巻第395「小田切某(光信)」の項

天文14年 1545年 5月23日 32歳
塩尻(信濃国)において武田晴信小笠原長時・木曽義昌が戦う。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)

天文15年 1546年 -月-日 33歳
子・貞慶が信濃国林にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原貞慶」の項

天文17年 1548年 7月19日 35歳
塩尻峠(信濃国)にて武田晴信小笠原長時が戦い、晴信が勝利する。
出典:天文17年7月19日付武田晴信感状(「浜家文書」『戦国遺文 武田氏編』第1巻-254号)他

天文18年 1549年 10月8日 36歳
父・長棟が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長棟」の項

天文21年 1552年 -月-日 39歳
小笠原長時貞慶父子が中塔城(信濃国)より退出し越後国に赴く。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原貞慶」の項

天文22年 1553年 5月7日 40歳
桔梗原(信濃国)にて武田晴信小笠原長時が戦う。
出典:天文22年6月7日付武田晴信感状(「辻家文書」『戦国遺文 武田氏編』第1巻-372号)他

弘治1年 1555年 10月23日 42歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 45歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄12年 1569年 -月-日 56歳
孫・秀政が山城国綴喜郡宇治田原にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原秀政」の項

元亀1年 1570年 4月23日 57歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 60歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正11年 1583年 2月25日 70歳
小笠原長時が会津(陸奥国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長時」の項

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