人 物 史

柳沢吉保 やなぎさわ よしやす
生 没 年万治1年(1658)12/18-正徳4年(1714)11/2
出 身武蔵国江戸市ヶ谷幼 名-
別 称十三郎、弥太郎、房安、佳忠、信本、保明
法 名保山
戒 名永慶寺保山元養
柳沢安忠了本院
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者定子(曽雌定盛の娘)、飯塚染子、町子(正親町実豊の娘)
柳沢吉里、柳沢長暢、柳沢安基、柳沢経隆、柳沢時睦、米倉忠仰、柳沢保経、娘(内藤政森の妻)、娘(松平資訓の妻)
官 位出羽守、侍従、左近衛少将、美濃守
役 職江戸幕府 小納戸、側用人
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ柳沢吉保の関連文化財
柳沢吉保 年表
万治1年 1658年 12月18日 1歳
柳沢吉保が生まれる。
出典:-

寛文1年 1661年 4月25日 4歳
「万治」より「寛文」に年号が改まる。
出典:-

延宝1年 1673年 9月21日 16歳
「寛文」より「延宝」に年号が改まる。
出典:-

天和1年 1681年 9月29日 24歳
「延宝」より「天和」に年号が改まる。
出典:-

貞享1年 1684年 2月21日 27歳
「天和」より「貞享」に年号が改まる。
出典:-

元禄1年 1688年 9月30日 31歳
「貞享」より「元禄」に年号が改まる。
出典:-

宝永1年 1704年 3月13日 47歳
「元禄」より「宝永」に年号が改まる。
出典:-

宝永2年 1705年 4月10日 48歳
柳沢吉保により恵林寺にて12日まで武田信玄の133回忌法要が執行される。
出典:『楽只堂年録』同年月12日条

宝永2年 1705年 4月13日 48歳
甲斐国内の関所修復について甲府移封後初めてであったので幕府に申請する。以後は幕府の許可なく修復することができるようにと幕府に申請し認められる。
出典:『楽只堂年録』同年月日条

宝永2年 1705年 4月14日 48歳
諸国大名に暇乞いを下すため江戸城(武蔵国)に登城する。
出典:『楽只堂年録』同年月日条

宝永2年 1705年 4月15日 48歳
市ヶ谷八幡宮に参詣し太刀1腰、馬代金10枚を献納し、和歌を奉納する。
出典:『楽只堂年録』同年月日条

宝永2年 1705年 4月16日 48歳
徳川綱吉の紅葉山東照宮への参詣に供奉し先立をつとめる。
出典:『楽只堂年録』同年月日条

宝永2年 1705年 4月22日 48歳
田野の景徳院に名代として柳沢保格を遣わし、武田勝頼・武田信勝ら天目山にて討死した武田家家臣の牌前に香典を備える。
出典:『楽只堂年録』同年月日条

宝永6年 1709年 1月10日 52歳
徳川綱吉が死去する。
出典:-

正徳1年 1711年 4月25日 54歳
「宝永」より「正徳」に年号が改まる。
出典:-

正徳4年 1714年 11月2日 57歳
柳沢吉保が死去する。
出典:-

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