神 社 史

鶴岡八幡宮(相模国) つるがおかはちまんぐう
祭 神八幡
創 建-
別 称-
関連宗教施設-
現 所 在 地〒248-8588
神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31
旧 所 在 地-
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
リ ン ク-
鶴岡八幡宮(相模国) 年表
応永24年 1417年 1月10日 
鶴岡八幡宮(相模国)にて足利満隆、足利持仲上杉禅秀が自害する。
出典:-

天文1年 1532年 10月17日 
卯刻(5-7時)、北条氏綱が玉縄(相模国)より鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文2年 1533年 4月11日 
鶴岡八幡宮仮殿の事始めが行われる。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文2年 1533年 4月18日 
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文2年 1533年 5月18日 
鶴岡八幡宮假殿が完成する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文3年 1534年 閏1月23日 
鶴岡八幡宮造営奉行・大道寺盛昌が鶴岡八幡宮の造営の様子を巡検する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文3年 1534年 6月3日 
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文3年 1534年 6月5日 
北条氏綱氏康鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文4年 1535年 1月7日 
鶴岡八幡宮に濱鳥居を建てるべく本願 安養院の僧が快元のもとを訪れる。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文4年 1535年 2月9日 
道円が本願の集めた奉加銭50貫文と金覆輪の太刀1腰を鶴岡八幡宮の社僧・快元のもとに持参する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文4年 1534年 3月23日 
北条氏康が、父・氏綱の咳気平癒祈願として、鶴岡八幡宮西檀所にて愛染王護摩を修す。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文4年 1534年 7月28日 
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。氏綱が社内を巡見。27日に造営用の材木が到着しており、氏綱は喜ぶ。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文4年 1534年 10月21日 
北条氏康鶴岡八幡宮に神馬を奉納する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 4月19日 
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 8月1日 
北条氏康・為昌兄弟が鶴岡八幡宮に参詣する。社内を巡見する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 8月29日 
大道寺盛昌が鶴岡八幡宮を訪れる。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 10月11日 
辰刻(7-9時)、北条氏綱氏康・為昌父子が鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 1月22日 
北条氏綱の願いにより鶴岡八幡宮透廊間にて般若経の真読が行われる。真読料として銭5000疋が納められる。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 4月22日 
鶴岡八幡宮造営奉行の大道寺盛昌が同社を巡見する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 4月28日 
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 5月29日 
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 2月1日 
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 2月15日 
北条為昌が鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 4月28日 
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 9月3日 
北条氏康鶴岡八幡宮獅子勧進として東郡・西郡の家1間に2銭ずつ徴収することを認める。
出典:『戦国遺文』後北条氏編1巻-157号「相州文書」

天正6年 1578年 10月10日 
上杉景虎鶴岡八幡宮衆徒に「怨敵」(上杉景勝)の退散祈念を依頼する。
出典:(天正6年)10月10日付上杉景虎書状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』1694号)

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