人 物 史

赤松満祐 あかまつ みつすけ
生 没 年永徳1年・弘和1年(1373)-嘉吉1年(1441)9/10
出 身-幼 名-
別 称-
法 名-
戒 名-
赤松義則-
兄 弟 姉 妹赤松満祐、赤松祐尚、赤松則友、赤松義雅、赤松則繁、龍門寺直操
配 偶 者-
赤松教康、赤松若松丸、赤松乙松丸
官 位兵部少輔、左京大夫、大膳大夫
役 職室町幕府 侍所頭人
城 郭-
参 考 文 献赤松満祐に関する参考文献
関 連 デ ー タ-
赤松満祐 年表
永徳1年・弘和1年 1381年 -月-日 1歳
赤松満祐が生まれる。
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嘉慶1年・元中4年 1387年 8月2日 7歳
「至徳」より「嘉慶」に北朝の年号が改まる。
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明徳2年・元中8年 1391年 12月30日 11歳
内野(山城国)にて山名満幸・山名氏清足利義満が戦い、義満が勝利する。氏清が戦死する。
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応永1年 1394年 7月5日 14歳
「明徳」より「応永」に年号を改める。
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応永15年 1408年 5月6日 28歳
足利義満が死去する。
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正長1年 1428年 4月27日 48歳
「応永」より「正長」に年号を改める。
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永享1年 1429年 9月5日 49歳
「正長」より「永享」に年号を改める。
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嘉吉1年 1441年 2月17日 61歳
「永享」より「嘉吉」に年号が改まる。
出典:-

嘉吉1年 1441年 6月24日 61歳
赤松満祐が自邸にて足利義教を殺害する。
出典:『斎藤恒基日記』同年月日条、『嘉吉物語』

嘉吉1年 1441年 6月25日 61歳
赤松満祐が河合(播磨国)に到着する。
出典:『嘉吉物語』

嘉吉1年 1441年 7月1日 61歳
季瓊真蘂が坂本城(播磨国)にいる赤松満祐足利義教の首の返還を求め、満祐は首を返還する。
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嘉吉1年 1441年 7月6日 61歳
等持院(山城国)にて足利義教の葬儀が行われる。
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嘉吉1年 1441年 7月28日 61歳
赤松満祐討伐のため山名持豊が京を発ち但馬国に向かう。
出典:-

嘉吉1年 1441年 8月15日 61歳
赤松満祐討伐のため細川教春が播磨国に向けて出陣する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川教春」の項

嘉吉1年 1441年 8月19日 61歳
和坂(播磨国)にて細川持常・赤松貞村と赤松満祐が戦う。
出典:『後鑑』同年月日条

嘉吉1年 1441年 8月26日 61歳
細川教春が明石(播磨国)に陣取る。人丸塚にて教春と赤松満祐勢が戦う。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川教春」の項

嘉吉1年 1441年 9月10日 61歳
赤松満祐が籠る白旗城(播磨国)が落ちる。満祐は自害する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川教春」の項

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