人 物 史

足利義満 あしかが よしみつ
生 没 年延文3年・正平13年(1358)8/22-応永15年(1408)5/6
出 身-幼 名春王
別 称-
法 名道有、道義
戒 名鹿苑院天山道義
足利義詮良子(善法寺通清の娘)
兄 弟 姉 妹千寿王、足利義満、柏庭清祖、足利満詮、廷用宗器、宝鏡寺殿
配 偶 者日野時光の娘、日野資康の娘、摂津能秀の娘
足利尊満、足利義持、足利義嗣足利義教、法尊、虎山永隆、義昭、義承
官 位左馬頭、参議、左近衛中将、権大納言、右近衛大将、内大臣、左大臣、太政大臣
役 職室町幕府 征夷大将軍
城 郭-
参 考 文 献足利義満に関する参考文献
関 連 デ ー タ足利義満の関連文化財
足利義満 年表
延文3年・正平13年 1358年 8月22日 1歳
足利義満が生まれる。
出典:-

貞治6年・正平22年 1367年 11月25日 10歳
足利義詮が政務を子・義満に譲り、細川頼之を管領とする。
出典:『愚管記』同年月26日条

貞治6年・正平22年 1367年 12月7日 10歳
父・義詮が死去する。
出典:-

正平23年 1368年 3月11日 11歳
後村上天皇が崩御する。
出典:-

応安1年・正平23年 1368年 4月15日 11歳
足利義満が元服する。理髪役は細川業氏。
出典:『愚管記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川業氏」の項

応安1年・正平23年 1368年 6月23日 11歳
足利義満の名代として細川頼之が石清水八幡宮に参詣する。
出典:『石清水八幡宮記録』

応安2年・正平24年 1369年 4月2日 12歳
楠木正儀が上洛する。夜、正儀が細川頼之と対面する。
出典:『花営三代記』同年月日条

応安2年・正平24年 1369年 4月3日 12歳
夜、楠木正儀足利義満と対面する。
出典:『花営三代記』同年月日条

応安3年・建徳1年 1370年 7月24日 13歳
「正平」より「建徳」に南朝の年号が改まる。
出典:-

応安3年・建徳1年 1370年 11月29日 13歳
石清水八幡宮の神輿が帰座する。この神輿帰座を契機に、細川頼之と土岐頼康の私戦が行われるのでは噂されるが、合戦が起きず。
出典:『後愚昧記』同年月日条

応安3年・建徳1年 1370年 12月15日 13歳
土岐頼康が京都より尾張国に下向する。
出典:『後愚昧記』同年月日条、『花営三代記』同年月日条

応安4年・建徳2年 1371年 3月28日 14歳
山名時氏が死去する。
出典:-

応安4年・建徳2年 1371年 11月29日 14歳
赤松則祐が死去する。
出典:-

応安5年・文中1年 1372年 9月26日 15歳
細川頼之が管領の職を辞し、四国に下向せんとする。足利義満が頼之を説得し、頼之に管領職辞退を止める。
出典:『愚管記』同年月日条

応安7年・文中3年 1374年 12月-日 17歳
天竺聖相国寺にて足利義満に謁し召し抱えられる。
出典:『大乗院日記目録』同年月条

康暦1年 1379年 3月22日 22歳
「永和」より「康暦」に北朝の年号が改まる。
出典:-

嘉慶1年・元中4年 1387年 8月2日 30歳
「至徳」より「嘉慶」に北朝の年号が改まる。
出典:-

明徳2年・元中8年 1391年 12月30日 34歳
内野(山城国)にて山名満幸・山名氏清足利義満が戦い、義満が勝利する。氏清が戦死する。
出典:-

明徳3年 1392年 3月2日 35歳
細川頼之が死去する。
出典:『高野山過去帳』、『大乗院日記目録』同年月日条、『執事補任次第』

応永1年 1394年 7月5日 37歳
「明徳」より「応永」に年号を改める。
出典:-

応永1年 1394年 9月11日 37歳
足利義満日吉社に参詣する。
出典:『日吉社室町殿御社参記』同年月日条

明徳5年 1394年 6月13日 37歳
子・義教が生まれる。
出典:-

応永1年 1394年 -月-日 37歳
子・義嗣が生まれる。
出典:-

応永6年 1400年 10月27日 43歳
大内義弘の幕府への謀叛が噂される。
出典:『東院毎日雑々記』同年月日条

応永6年 1400年 11月29日 43歳
堺城にて大内義弘と幕府軍が戦う。
出典:応永6年12月日得田章長軍忠状(「得田文書」『加能史料』室町Ⅰp80)

応永6年 1400年 12月21日 43歳
にて大内義弘と幕府軍が戦い、義弘が戦死する。
出典:『五壇法記』・『東院毎日雑々記』同年月日条

応永10年 1403年 5月6日 46歳
足利義満長谷寺に参詣する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

応永13年 1406年 10月25日 49歳
足利義満が伊勢参宮への帰路、長谷路を通過することをうけ長谷寺が開帳を行う。
出典:『荒暦』同年月日条(『長谷寺編年資料』より引用)

応永15年 1408年 5月6日 51歳
足利義満が死去する。
出典:-

永正4年 1507年 5月6日 
足利義澄相国寺にて鹿苑院(足利義満)の100年忌法要を修す。
出典:『相国考記』同年月日条(相国寺史料編纂委員会編『相国寺史料』第1巻、思文閣出版、1984年)

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