人 物 史

小倉吉正 おぐら よしまさ
生 没 年文禄1年(1592)-寛永1年(1624)12/5
出 身-幼 名-
別 称与助、孫左衛門
法 名元永
戒 名-
小倉吉次-
兄 弟 姉 妹小倉吉正
配 偶 者-
小倉正信
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第3輯 刊本
関 連 デ ー タ-
小倉吉正 年表
文禄1年 1592年 -月-日 1歳
小倉吉正が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉吉正」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉吉正」の項

文禄1年 1592年 12月8日 1歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 5歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 7歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 2月12日 12歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 14歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長20年 1615年 6月1日 24歳
父・吉正が京都(山城国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉吉正」の項

元和1年 1615年 7月13日 24歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

寛永1年 1624年 2月30日 33歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
出典:-

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