人 物 史

松平家乗 まつだいら いえのり
生 没 年天正3年(1575)-慶長19年(1614)2/19
出 身三河国大給幼 名-
別 称源次郎
法 名-
戒 名大聖院乗誉道見
松平真乗戸田弾正の娘
兄 弟 姉 妹松平家乗、松平真次
配 偶 者石川康通の娘
松平乗寿、松平知乗、娘(大久保教隆の妻)、娘(知久直政の妻)
官 位和泉守
役 職-
城 郭那波城、岩村城(美濃国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる松平家乗の呼称
松平家乗の関連文化財
松平家乗 年表
文禄1年 1592年 12月8日 18歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 22歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 24歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長5年 1600年 1月12日 26歳
子・乗寿が生まれる。
出典:-

慶長8年 1603年 2月12日 29歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 31歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長19年 1614年 2月19日 40歳
辰刻(7-9時)、松平家乗が死去する。
出典:『当代記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第9「松平家乗」の項

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