人 物 史

松平康重 まつだいら やすしげ
生 没 年永禄11年(1568)-寛永17年(1640)6/27
出 身-幼 名-
別 称次郎、康次
法 名-
戒 名長安院殿龍誉浄和大居士
松平康親松平重吉の娘
兄 弟 姉 妹松平康重、松平忠喬、花(井伊直政の妻)
配 偶 者石川康通の娘、徳永寿昌の娘
松平康政、松平康映、松平康命、松平康紀、松平康敬、松平康久、林、慶寿院、娘(西園寺公満の妻)、娘(牧野康成の妻)、娘(松平利綱の妻)、娘(竹中重義の妻)、娘(岡田元直の妻)、娘(貫名重用の妻)、娘(貝塚某の妻)
官 位左近丞、周防守
役 職-
城 郭騎西城(武蔵国)、笠間城(常陸国)と篠山城(丹波国)、岸和田城(和泉国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ松平康重の関連文化財
松平康重 年表
永禄11年 1568年 -月-日 1歳
松平康重が生まれる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 3歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 6歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

文禄1年 1592年 12月8日 25歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 29歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 31歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 2月12日 36歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 38歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

元和1年 1615年 7月13日 48歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 49歳
徳川家康が死去する。
出典:-

寛永1年 1624年 2月30日 57歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
出典:-

寛永9年 1632年 1月24日 65歳
徳川秀忠が死去する。
出典:-

寛永17年 1640年 6月27日 73歳
松平康重が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項

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