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史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
城 郭 史
小倉山城(安芸国)
おぐらやまじょう
築 城 年
-
築 城 者
-
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
天文19年 1550年
別 称
小蔵山城、紅葉山城、小倉城
現 所 在 地
〒731-2103
広島県山県郡北広島町新庄
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
吉川元春
小倉山城(安芸国) 年表
天文19年 1550年 9月27日
毛利元就
が
吉川興経
のもとに
熊谷信直
、
天野隆重
を遣わし、興経・千法師父子を殺害する。
出典:-
天文24年 1555年 10月1日
厳島(安芸国)に滞在中の
陶晴賢
を
毛利元就
が急襲し、晴賢は自害する。
出典:『言延覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年)、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」、同巻28「陶全羨最後之事」
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