地 名 の 歴 史

下総国[国] しもうさのくに
初 見-
下総国
千葉郡、葛飾郡、猿島郡、結城郡、豊田郡、岡田郡、相馬郡、印旛郡、埴生郡、香取郡、匝瑳郡、海上郡
荘 園-
中 世 高-
近 世 領 主-
近 世 石 高-
鎮 守-
神 社香取神宮
寺 院-
城 郭下総国の城郭
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
下総国[国] 年表
永禄2年 1559年 8月1日 
結城政勝が死去する。
出典:-

元亀2年 1571年 10月3日 
北条氏康が死去する。
出典:『早雲寺過去帳』

慶長4年 1599年 6月-日 
下総国上総国武蔵国で大風が吹く。
出典:『当代記』巻3同年月条

慶長4年 1599年 7月-日 
下総国上総国武蔵国で大風が吹く。
出典:『当代記』巻3同年月条

寛永2年 1625年 12月19日 
永井直勝が死去する。
出典:-

寛永10年 1633年 6月7日 
徳川家光が石川忠総を日田(豊後国)から佐倉(下総国)に移し、10000石を加増して総じて70000石を給付し、佐倉城(下総国)城主とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第118「石川忠総」の項

寛永11年 1634年 閏7月6日 
徳川家光が酒井忠勝に若狭国一国、越前国敦賀郡、近江高島郡内(7000石余)の113500石を給付し、小浜城(若狭国)城主に、石川忠総を佐倉(下総国)から膳所(近江国)に移し、膳所城(近江国)城主とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第61「酒井忠勝」の項、同巻第118「石川忠総」の項

明暦2年 1656年 8月15日 
板倉重宗の摂津国・山城国・近江国の所領を葛飾郡(下総国)、猿島郡(下総国)、相馬郡(下総国)、豊田郡(下総国)に転じ、関宿城(下総国)城主とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

明暦2年 1656年 12月1日 
板倉重宗が関宿(下総国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

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