人 物 史

島津忠将 しまづ ただまさ
生 没 年永正17年(1520)-永禄4年(1561)7/12
出 身-幼 名菊寿丸
別 称又四郎、政久
法 名大安
戒 名-
島津忠良島津重久の娘
兄 弟 姉 妹女(肝付兼続の妻)、女(樺山善久の妻)、島津貴久島津忠将、女(肝付兼盛の妻)、島津尚久、女
配 偶 者佐多忠成の娘
娘(入来院重豊の妻)、島津以久、娘(島津忠長の妻)
官 位右馬頭
役 職-
城 郭清水城(日向国)
参 考 文 献〇『寛政重修家譜』巻第109「島津忠将」
関 連 デ ー タ-
島津忠将 年表
永正17年 1520年 -月-日 1歳
島津忠将が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第109「島津忠将」の項に記載されている没年・享年より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第109「島津忠将」の項

大永1年 1521年 8月23日 2歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

大永6年 1526年 11月18日 7歳
島津勝久島津貴久を養子とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津貴久」の項

大永6年 1526年 11月27日 7歳
島津貴久が島津宗家の家督を相続し、清水城(薩摩国)に入城する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津貴久」の項

享禄1年 1528年 8月20日 9歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 13歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文19年 1550年 6月20日 31歳
子・以久が薩摩国永吉にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第109「島津以久」の項

弘治1年 1555年 10月23日 36歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 39歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄4年 1561年 7月12日 42歳
廻城(大隅国)にて島津義久と肝付兼続が戦う。島津忠将が戦死する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第109「島津忠将」の項

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