和暦 |
西暦 |
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年齢 |
事項 |
出典 |
嘉暦1年 | 1326 | - | - | 1 | 成良親王が生まれる。 | - |
元徳3年 | 1331 | 4 | 24 | 6 | 後醍醐天皇が笠置城(山城国)に行幸する。 | 『関城書裏書』 |
元弘1年 | 1331 | 9 | 27 | 6 | 幕府を倒幕するため挙兵した後醍醐天皇の籠る笠置城(山城国)を攻めるため幕府軍が発向する。 | 『関城書裏書』 |
元弘2年 | 1332 | 3 | 7 | 7 | 後醍醐天皇が配所・隠岐国に赴くべく、京都を出立する。千葉五郎左衛門・佐々木備中判官が道中を警固する。 | 『関城書裏書』 |
正慶2年 | 1333 | 閏2 | 24 | 8 | 後醍醐天皇が配流地の隠岐国を脱出し、伯耆国稲津浦に移る。 | 『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上 |
正慶2年 | 1333 | 閏2 | 26 | 8 | 後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。 | 『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上 |
元弘3年 | 1333 | 6 | 7 | 8 | 後醍醐天皇が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。 | 『関城書裏書』 |
元弘3年 | 1333 | 12 | - | 8 | 鎌倉府将軍に任じられた成良親王がその補佐となった足利直義とともに鎌倉(相模国)に下向する。 | 『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上 |
元弘3年 | 1333 | 12 | - | 8 | 弟・直義が鎌倉府将軍に任じられた恒良親王の補佐として鎌倉(相模国)に下向する。 | 『関城書裏書』 |
建武1年 | 1334 | 3 | - | 9 | 北条氏の残党が鎌倉(相模国)を襲うが撃退する。 | 『関城書裏書』 |
建武2年 | 1335 | 7 | 23 | 10 | 護良親王が鎌倉(相模国)の牢獄にて淵辺義博に討たれる。 | 『桜雲記』巻之上 |
建武2年 | 1335 | 7 | - | 10 | 信濃国で蜂起した北条時行が鎌倉(相模国)に攻め込む。成良親王、足利直義は応戦するも支えきれず鎌倉を退く。成良親王は大江時古に抱えらえ帰洛する。 | 『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上 |
康永2年?・興国4年? | 1343? | 1 | 6 | 18 | 成良親王が死去する。 | - |