人 物 史

本多重次 ほんだ しげつぐ
生 没 年享禄2年(1529)-文禄5年(1596)7/16
出 身-幼 名-
別 称八蔵、作十郎、作左衛門
法 名-
戒 名-
本多重正-
兄 弟 姉 妹本多重富、本多重次、本多重玄
配 偶 者鳥居忠吉の娘
本多成重
官 位-
役 職-
城 郭岡崎城(三河国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる本多重次の呼称
本多重次の関連文化財
本多重次 年表
享禄2年 1529年 -月-日 1歳
本多重次が生まれる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 4歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 27歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 30歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 42歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 45歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正7年 1579年 2月21日 51歳
本多重次が浜松城(遠江国)の構の普請に従事する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月12日 51歳
徳川家康(三河国)より(遠江国)に帰城する。岡崎城には留守居として本多重次を置く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月15日 51歳
松平家忠が本多重次のもとに音信を遣わす。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 11月29日 51歳
武田勝頼勢の撤退につき、徳川家康勢は浜松城(遠江国)に帰城することになり、その旨を本多重次が触れ廻る。松平家忠は見付(遠江国)に陣取る。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正11年 1583年 -月-日 55歳
向井正綱徳川家康の命を受けた本多重次の説得に応じ家康に仕える。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第103「向井正綱」の項

文禄1年 1592年 12月8日 64歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

文禄5年 1596年 7月16日 68歳
本多重次が死去する。
出典:-

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