人 物 史

松田盛秀 まつだ もりひで
生 没 年?-?
出 身-幼 名-
別 称-
法 名-
戒 名-
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兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
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官 位右衛門尉、対馬守
役 職室町幕府 奉行人
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
松田盛秀 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
-----松田盛秀が生まれる。-
享禄2年1529911-幕府が東寺境内稲荷社の氏子と東福寺の喧嘩を制止する奉行人連署奉書を発給する。発給者は飯尾堯連松田盛秀松田亮致享禄2年9月11日付室町幕府奉行人連署奉書(『東寺百合文書』)
享禄5年153244-弘法大師七百年忌の勧進として東寺宝菩提院を東国に下向させることを諸門徒中に周知させる室町幕府奉行人飯尾定広松田盛秀の連署奉書が発給される。享禄5年4月4日付室町幕府奉行人連署奉書(「東寺文書」『室町幕府文書集成 奉行人奉書篇 下』3195号)
天文3年1534104-足利義晴南禅寺山上に築城するにあたって、開闔松田盛秀が東山十ヶ郷・五十余郷に1郷につき人夫30人を供出するよう各領主に伝える。『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』154号)
天文15年15461220-足利義藤の御評定始。鬮役は松田頼隆、奏事は飯尾堯連、御判始奉行は松田盛秀『光源院殿御元服記』(『群書類従』)
-----松田盛秀が死去する。-
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