寺 院 史

南禅寺(山城国) なんぜんじ
本 尊-
創 建-
開 基-
山 号瑞龍山
宗 派臨済宗 南禅寺派
別 称瑞龍山太平興国南禅禅寺
関連宗教施設雲臥庵 雲興庵 薀真軒 雲竹軒 雲荘軒 雲峰庵 雲門庵 恵雲院 延慶院 遠碧軒 回輝庵 海門軒 含雪軒 岩栖院 帰雲院 金龍軒 下生院 慶雲軒 慶祥軒 幻住庵 壺隠軒 語心院 護聖院 光雲寺 耕雲庵 金剛院 金地院 済北院 紫玉庵 慈光院 慈氏院 慈聖院 聚祥院 寿光院 集慶軒 少林院 正因庵 正眼院 正宗庵 正的院 松隠軒 松蔭軒 松月軒 松蓋軒 松風軒 上生院 上乗院 定光院 定水軒 常春軒 常牧庵 真乗院 新皇軒 瑞雲庵 瑞松軒 瑞珠軒 瑞泉軒 西牧軒 栖雲庵 栖真院 栖碧軒 清泰院 清涼院 仙館院 善住庵 禅源院 禅栖院 禅林院 双桂院 続宗軒 大雲庵 大定院 大寧院 長興軒 聴松院 聴雪軒 天授庵 天徳院 伝芳軒 投老庵 東雲軒 東禅院 徳雲院 南禅院 南豊軒 南陽院 浮香閣 福聚軒 法皇寺 鳳栖軒 牧護庵 本地院 妙高軒 龍華院 龍元院 龍護軒 龍光庵 龍興庵 楞伽院 楞厳院 霊岩院
現 所 在 地〒606-8435
京都府京都市左京区南禅寺福地町86

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旧 所 在 地-
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク-
南禅寺(山城国) 年表
正中2年 1325年 8月-日 
夢窓疎石が南禅寺の住持となる。
出典:『桜雲記』巻之上

享禄5年 1532年 2月23日 
三好元長南禅寺真乗院に山城国紀伊郡深草にある同院領の散在地および末寺 栄松寺の知行を認める書下を発給する。
出典:享禄5年2月23日付三好元長書下(「真乗院文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-86号)

天文3年 1534年 5月18日 
永原、進藤貞治南禅寺に陣取る。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』153号)

天文3年 1534年 5月23日 
南禅寺に陣取る永原、進藤貞治のもとに木沢長政が訪れ、密々の話し合いをする。
出典:『兼右卿記』同年月23日条(『ビブリア』153号)

天文3年 1534年 9月3日 
足利義晴が軍勢2000を率い坂本(近江国)より上洛する。南禅寺に入る。先駆けは蜷川、大舘晴光・上野与三郎・佐々木治部少輔・一色式部少輔・力阿弥、伊勢貞孝六角義賢が随従する。義賢は若王子に寄宿する。
出典:『北野社家日記』同年月日条、『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』154号)

天文3年 1534年 10月4日 
足利義晴南禅寺山上に築城するにあたって、開闔松田盛秀が東山十ヶ郷・五十余郷に1郷につき人夫30人を供出するよう各領主に伝える。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』154号)

天文5年 1536年 3月10日 
足利義輝が生まれる。産所が南禅寺門前に仮建てされる。
出典:『巌助往年記』同年月条

天文5年 1536年 4月-日 
足利義晴が御殿を南禅寺門前に新造する。
出典:『巌助往年記』同年月条

天文15年 1546年 12月18日 
足利義藤坂本(近江国)の樹下成保邸での元服につき、加冠役の六角定頼より迎えの軍勢が義藤のいる東山慈照寺にやってくる。義藤は巳刻(9-11時)に慈照寺を出発し、浄土寺、若王子、南禅寺、粟田口、日岡、花山、小山、大津を経由し坂本(近江国)に入る。坂本にて定頼・義賢父子が門外にて迎える。
出典:『厳助往年記』同年月日条

慶長2年 1597年 9月19日 
善光寺如来堂前で開催予定の朝鮮出兵戦死者を弔う大施食を執行の件につき、南禅寺(山城国)、天龍寺(山城国)、建仁寺(山城国)、東福寺(山城国)に僧衆を出仕させるよう西笑承兌が触状を出す。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長20年 1615年 閏6月6日 
徳川秀忠南禅寺金地院末寺の真観寺(河内国)に1000石を給付する。
出典:『駿府記』同年月日条

元和3年 1617年 2月20日 
金地院崇伝が江戸(武蔵国)に向かって南禅寺(山城国)を発つ。
出典:『本光国師日記』同年月日条

元和3年 1617年 6月29日 
徳川秀忠伏見城(山城国)に到着する。夜、南禅寺に赴き宿泊する。
出典:『本光国師日記』同年月日条

元和3年 1617年 6月30日 
朝、徳川秀忠南禅寺より伏見城(山城国)に戻る。伝奏衆、昵近の公家衆が伏見城に居る秀忠のもとへ礼に赴く。
出典:『本光国師日記』同年月日条

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