和暦 |
西暦 |
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事項 |
出典 |
- | - | - | - | - | 飯尾堯連が生まれる。 | - |
享禄2年 | 1529 | 9 | 11 | - | 幕府が東寺境内稲荷社の氏子と東福寺の喧嘩を制止する奉行人連署奉書を発給する。発給者は飯尾堯連、松田盛秀、松田亮致。 | 享禄2年9月11日付室町幕府奉行人連署奉書(『東寺百合文書』) |
天文10年 | 1541 | 6 | 20 | - | 法勝寺領延勝寺が退転したため、室町幕府が延勝寺敷地を法勝寺に還付する奉行人奉書を発給する。署名は飯尾堯連、中沢光俊。 | 同年月日付室町幕府奉行人連署奉書(『蜷川家文書』3-559号) |
天文15年 | 1546 | 12 | 19 | - | 足利義藤が坂本(近江国)の樹下成保邸にて元服する。加冠は六角定頼、理髪は細川晴経、惣奉行は摂津元造、元服奉行は松田晴秀・飯尾堯連、打乱は朽木稙綱、泔坏は大原高保、御祝調進は大隅秀宗・大草公広、御手長は伊勢盛正、御物奉行は蜷川親俊・三上秀長が勤める。定頼は義藤に馬・弓・征矢・鎧・砂金を進上する。 足利義藤の御乗馬初め儀を執行する。 義藤が従四位下・左馬頭に叙位・任官する。征夷大将軍就任の宣旨が下され、勅使・高辻大納言が義藤のいる坂本(近江国)に遣わされる。 | 『厳助大僧正記』同年月日条、『光源院殿御元服記』(『群書類従』) |
天文15年 | 1546 | 12 | 20 | - | 足利義藤の御評定始。鬮役は松田頼隆、奏事は飯尾堯連、御判始奉行は松田盛秀。 | 『光源院殿御元服記』(『群書類従』) |
- | - | - | - | - | 飯尾堯連が死去する。 | - |