人 物 史

三好長則 みよし ながのり
生 没 年?-永正17年(1520)5/12
出 身-幼 名-
別 称次郎、芥川長則
法 名-
戒 名-
三好之長-
兄 弟 姉 妹三好長秀、三好頼澄、三好長光三好長則
配 偶 者-
三好長逸
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
三好長則 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
永正17年152053-細川高国が入京する。鴨川に軍勢を展開する。高国に六角勢が大将・小原を大将に加勢する。三好之長等持寺に夫人し、三好長光長則を先陣として高倉通の二条から四条にかけて布陣させる。『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」
永正17年152055-巳刻(9-11時)、細川高国の軍勢が鴨川を渡り、三好之長勢が布陣する上京に攻め入る。高国は本陣を川崎の天神に置き、午刻(11-13時)には等持寺の東南にて高国と之長が戦う。戦中、讃岐勢の香川・安富・久米・河村が高国方に寝返り、亥刻(21-23時)、之長・長光長則は京都より逃亡し、高国が勝利する。『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」
永正17年152059-曇華院に逃れていた三好之長長光長則細川高国勢が包囲する。之長は高国に詫びを入れ、赦免される。『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」
永正17年1520510-曇華院に匿われていた三好長光長則細川高国に降伏する。両名は高国と対面した後、上京の安達の宿所に置かれる。『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」
永正17年1520511-曇華院に匿われていた三好之長細川高国に降伏する。高国は之長を許さず、知恩寺に切腹するよう命じ、之長は切腹する。『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」
永正17年1520512-三好之長の切腹を聞かされた三好長光長則が切腹する。『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」
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