人 物 史

三好之長 みよし ゆきなが
生 没 年長禄2年(1458)-永正17年(1520)5/11
出 身-幼 名-
別 称長輝
法 名喜雲
戒 名-
三好長之-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
三好長秀、三好頼澄、三好長光三好長則
官 位筑前守
役 職-
城 郭-
参 考 文 献三好之長に関する参考文献
関 連 デ ー タ-
三好之長 年表
長禄2年 1458年 -月-日 1歳
三好之長が生まれる
出典:-

寛正1年 1460年 12月21日 3歳
「長禄」より「寛正」に年号が改まる。
出典:-

文正1年 1466年 2月28日 9歳
「寛正」より「文正」に年号が改まる。
出典:-

応仁1年 1467年 3月5日 10歳
「文正」より「応仁」に年号が改まる。
出典:-

文明1年 1469年 4月28日 12歳
「応仁」より「文明」に年号が改まる。
出典:-

長享1年 1487年 7月20日 30歳
「文明」より「長享」に年号が改まる。
出典:-

延徳1年 1489年 8月21日 32歳
「長享」より「延徳」に年号が改まる。
出典:-

明応1年 1492年 7月19日 35歳
「延徳」より「明応」に年号が改まる。
出典:-

文亀1年 1501年 2月29日 44歳
「明応」より「文亀」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永正1年 1504年 2月30日 47歳
「文亀」より「永正」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永正4年 1507年 6月24日 50歳
香西元長が細川澄元三好之長を襲撃する。澄元・之長は近江国に逃れる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永正14年 1517年 9月18日 60歳
三好之長・寒川左馬允が淡路国に攻め入る。
出典:大般若経奥書(永正14年閏10月25日修補)

永正14年 1517年 閏10月23日 60歳
淡路国衆の船越、田村が三好之長・寒川左馬允に寝返ったため、淡路国守護・細川尚春がに逃亡する。
出典:大般若経奥書(永正14年閏10月25日修補)

永正16年 1519年 5月11日 62歳
高津(阿波国)にて細川尚春が三好之長に殺害される。
出典:『細川両家記』、『永源師檀紀年録』乾、『重編応仁記』巻10「三好希雲居士降参自害事」

永正16年 1519年 11月-日 62歳
細川澄元三好之長を先陣として四国・淡路国・播磨国の軍勢10000をもって兵庫(摂津国)、次いで難波津に上陸する。澄元は神呪寺・南槙尾に、之長は海部に、久米・河村・香川・安富は広田・中村・西宮・蓮花畠に陣取る。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正16年 1519年 11月-日 62歳
細川澄元勢が細川高国方の河原林正頼が籠る越水城(摂津国)を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正16年 1519年 11月23日 62歳
細川高国細川澄元勢の攻撃を受けている河原林正頼の籠る越水城(摂津国)を救援するため、軍勢を率い京都と発つ。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正16年 1519年 12月6日 62歳
細川高国池田城(摂津国)に入る。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 2月3日 63歳
越水城(摂津国)に籠城していた瓦林正頼が城から脱出する。越水城は自焼する。
出典:『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 1月10日 63歳
細川高国細川澄元越水城(摂津国)周辺にて戦う。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 2月16日 63歳
細川澄元三好之長細川高国尼崎(摂津国)・長洲(摂津国)で戦い、澄元・之長が勝利する。
出典:『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 2月18日 63歳
細川高国が近江国に逃亡する。
出典:『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 2月27日 63歳
三好之長が軍勢20000余を率い上洛する。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 3月16日 63歳
細川澄元が神呪寺より伊丹城(摂津国)に移る。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 5月2日 63歳
夜、細川高国が如意ヶ嶽に陣取る。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 5月3日 63歳
細川高国が入京する。鴨川に軍勢を展開する。高国に六角勢が大将・小原を大将に加勢する。三好之長等持寺に夫人し、三好長光長則を先陣として高倉通の二条から四条にかけて布陣させる。
出典:『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 5月5日 63歳
巳刻(9-11時)、細川高国の軍勢が鴨川を渡り、三好之長勢が布陣する上京に攻め入る。高国は本陣を川崎の天神に置き、午刻(11-13時)には等持寺の東南にて高国と之長が戦う。戦中、讃岐勢の香川・安富・久米・河村が高国方に寝返り、亥刻(21-23時)、之長・長光長則は京都より逃亡し、高国が勝利する。
出典:『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 5月9日 63歳
曇華院に逃れていた三好之長長光長則細川高国勢が包囲する。之長は高国に詫びを入れ、赦免される。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 5月10日 63歳
曇華院に匿われていた三好長光長則細川高国に降伏する。両名は高国と対面した後、上京の安達の宿所に置かれる。
出典:『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 5月11日 63歳
曇華院に匿われていた三好之長細川高国に降伏する。高国は之長を許さず、知恩寺に切腹するよう命じ、之長は切腹する。
出典:『厳助往年記』同年月日条、『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

永正17年 1520年 5月15日 
三好之長長光長則の葬礼が蓮台寺にて執り行われる。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」

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