人 物 史

村上元吉 むらかみ もとよし
生 没 年天文22年(1553)-慶長5年(1600)9/18
出 身-幼 名-
別 称少輔太郎、能島元吉
法 名-
戒 名相玄寺実翁宗真
村上武吉来島通康の娘
兄 弟 姉 妹村上元吉村上景親
配 偶 者小早川隆景の養女
村上元武
官 位掃部頭
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
村上元吉 年表
天文22年 1553年 -月-日 1歳
村上元吉が生まれる。
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弘治1年 1555年 10月23日 3歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
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弘治4年 1558年 2月28日 6歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
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永禄1年 1558年 -月-日 6歳
弟・景親が生まれる。
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元亀1年 1570年 4月23日 18歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
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天正1年 1573年 7月28日 21歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
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天正4年 1576年 7月12日 24歳
毛利家警固衆・小早川家警固衆・村上水軍衆の木梨元恒・村上吉充・生口景守・児玉就英戸川秀安・村上武満・粟屋元如・井上春忠・包久景勝・桑原元勝・村上景広・香川広景・村上吉継・乃美宗勝・村上元吉が岩屋(淡路国)を出航し、貝塚(和泉国)に着岸する。
出典:(天正4年7月15日付村上元吉他十四名連署注進状(『戦国遺文』瀬戸内水軍編460号「毛利家文書」)

天正4年 1576年 7月13日 24歳
大坂本願寺に兵糧を運び入れるため、毛利家警固衆・小早川家警固衆・村上水軍衆の木梨元恒・村上吉充・生口景守・児玉就英・村上武満・粟屋元如・井上春忠・包久景勝・桑原元勝・村上景広・香川広景・村上吉継・乃美宗勝・村上元吉、宇喜多家の戸川秀安が雑賀衆ととともに津より住吉(摂津国)に出船した際、木津川河口にて織田家の水軍衆に遭遇する。織田方は真鍋貞友、沼野伝内、沼野伊賀、沼野大隅守、宮崎鎌大夫、宮崎鹿目介、尼崎小畑、野口が300艘にて応戦。14日早朝まで戦闘が繰り広げられる。村上水軍衆の焙烙火矢により織田方の船が焼き崩される。織田信長も当地に向かうが、向った時には毛利勢による兵糧の運び入れが終わっていたため撤退する。
出典:(天正4年7月15日付村上元吉他十四名連署注進状(『戦国遺文』瀬戸内水軍編460号「毛利家文書」)、『信長公記』巻9(5)「西国より大船を催し木津浦船軍歴々討死の事」、(天正4年)7月27日付吉川元春書状(『上杉家文書』2-646号)

文禄1年 1592年 12月8日 40歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
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慶長1年 1596年 10月27日 44歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
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慶長5年 1600年 9月18日 48歳
加藤忠明・佃十成が籠る松前城(伊予国)を攻めるべく、三津浜(伊予国)に陣取っていた宍戸景好、曽根高房、木梨景吉、桂元将、村上元吉等率いる毛利勢を、十成が襲撃し、十成が勝利する。
加藤嘉明勢:加藤忠明、佃十成。
毛利輝元勢:宍戸景好、曽根高房(戦死)、木梨景吉、桂元将、村上元吉(戦死)。
出典:『関原陣輯録』「四国衆の留守を芸州勢取詰め候事」(三坂圭治校訂『戦国期毛利氏史料撰』マツノ書店、1987年)

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